2026/01/06

寒の入り極まるところ永平寺

 

                            (ネットから)

 厳寒の時期に永平寺へ行ったことがある。


 いやはや、ひたすらに寒かった。森厳として静まる山と、そこに残る凍てついた雪が、い

っそう寒さを感じさせたかもしれない。また、ここで行われる修行の厳しさを勝手に想像し

て、この場所は寒いものだと最初から決めつけていた、ということもあるかもしれない。


 椅子に座って10人ばかりの見学者が、しんとして待っていた。この部屋は暖房が利いて

いてほんのり温かったが、後になって広い廊下や階段にに出たら、周り中から寒気に押さ

れて、ギクシャクするほど寒い。でも案内する若い僧侶はスリッパも履ていない。



 ここに来た修行僧たちが日頃どんな生活をしているのか、最初に座っていた部屋で説明

があり、トイレの使用、お風呂の入り方まで厳しい規則があることを聞いた。なにしろ風呂

は小さな手桶5杯のお湯だけで全て済ませるのだそうで、今でも記憶に残っている。


 ひととおり説明を聞いてから部屋から廊下に出たら、体が一気に寒さに囲まれ、身動き

できないように感じる。廊下や階段の板は、ぴかぴかに磨き込まれ光っていて、それがま

た、キンキンと音を発するが如く冷え固まっているように思われる。



 僧堂、仏殿、法堂など主な部屋を案内してもらったが、どこもまあ、バカでかく広く森厳

と静まり返り、寒さが一層強く感じられる。修行僧たちは、この火の気のない大きな部屋

で毎日の務めを送っているのだろうと思い、それだけでもえらい人たちだと思った。


 説明や案内をしてくれた若い僧侶は、白皙で目が澄んでいて、とてもきれいに見える。

毎日の厳しい修行と、簡素極まりない食事ををしていると、人間というものはこんなにき

れいになるものかと思った。もはや、自分の小汚い貧しい顔をどこかに隠したかった。


 あれから長い時が流れた。今でも同じ厳しい修行だろうナア




2026/01/05

休み終え仕事始めや空寒し

 





 あ~あァ、また仕事だなあ、と言う感慨は遠い昔の情。


 なにしろもう退職したのだし、そしてもう何年にもなるのだし、明日からまた仕事だァ、イ

ヤだなあ、という気持ちも遠い昔の出来事だったように思われる。いまは世間のいろいろ

からすっかり解放され、なんの義務もなく、ストレスもなく全面的によろしい。


 これは齢をとってからの最大に「いいこと」のひとつだと思われる。いつまでも元気で働

ける能力があるなら別だが、社会で働くというのはそれなりにストレスを受けることも多

い。このストレスと言うのに、案外と人間は弱くできているようだ。困ったもんである。



 ともかく正月の永い休み明けは、無理々々仕事に復帰しなくてはならないから、ひとし

おイヤだな感が強い。この長い休みに、呑んで食って寝て、また呑んでと言う生活だった

ものが、一夜明けてみれば、それらのよろしきことを全面的に断ち切らねばならない。


 これはもう、そうとうに由々しきことではないだろうか。懶惰の限りに身を任せていたも

のを、全部断ち切ってしまえと言われても、そうそう急には参らぬ、ちょっと待ってくれ、

徐々に、だんだんと、ゆるゆると断ち切る故、ちょっと待ってくれ、と言いたくなるだろう。



 それはともかく、我が仕事始めはどういうことになるのであろうか。家の中の大片づけ、

と言うのがある。正月に離れて住む家族が来て泊まった。ので布団類がいっぱい出たまま

だし、食器類も同様、これを日に干したり、洗ったりしてどこか隅の方へ押し込める。


 しかる後に家じゅうに掃除機をかけ、元の少人数のつましい形に整える。いつものとお

り、布団も食器もごく少ない数で充分だから、そうなっていないとなんだか落ち着かない。

それがとりあえずの「仕事始め」であるので、さあ! いざ敢行せん、仕事始め!




2026/01/03

新年の空澄わたり富士映える

 



 冬の晴れた朝、富士が特別綺麗に見える。


 周りの群峰を抜きんでた嶺は一際高く、雪嶺が朝日に輝いて神々しく見える。南側斜面

の雪はきらきらと陽を照り返し、北側はなにか強い風が吹き抜けているように感じられ

る。裾の方には雪はなく、うっすらと緑がかった山肌が見えている。


 あそこは異次元の世界ではないかと思う。今眺めているこちらとは異なる世界、寒くて

冷たくて、強風が吹き、生き物がいない特別な世界、そんな世界を想像してしまう。出来る

なら、あっちの世界はただ眺めるだけにしたい。間違っても連れていかれては困る。



 鬱陶しいビルが無ければ東京から富士は案外よく見える。昔はビルなどなかったから、

富士を眺める「富士塚」がごまんとあったらしい。今に残っているのも多いから、見かけれ

ばひょいひょいと登ってみるが、もちろん富士などビルの陰で見えはしないけれど。


 富士塚から遠く遥かに富士を眺める、それは胸がすくような、清々しい気分だっただろ

う。江戸時代の人々も、現在の人々もその気分は同じものだろうと思う。そんな風に考え

ると、自分のすぐ脇か後ろに、ちょんまげの人が佇んでいても不思議はない。



 年末始暇だったので『富士山噴火』(藤井敏継 岩波新書)という本を読んだ。まず、富

士山は休火山だと思っていたが、れっきとした活火山だそうだ。それから、富士山はある

とき大爆発して今の姿になったのだとばかり考えていたが、それがどうも違うらしい。


 この本によれば、富士山の噴出物を詳しく調べたところ、なんとまあ5600年前の噴火

活動が明確になったという。この時から1707年の「宝永噴火」まで、ほぼ30年に1回の割

合で噴火していたという。こんなに長い期間、頻繁に噴火していたとは驚いた。


 その噴火活動でよく分かっているのが、864年ごろの「貞観噴火」、この時は大量の溶

岩が流出し、おおむね今の形になったらしい。そしてもう一つは1707年の「宝永噴火」、こ

の時は16日間にわたる山腹の爆発的な噴火で、江戸の町に大量の灰を降らせた。


 てなわけで、火山活動や、富士山について、何も知らなかった、と良ーく分かった。




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