2026/01/18

床の間に侘助寒し朝の雪

 

                                              (AIさん作成)


 自慢じゃないが茶道のサの字も知らない。


 わが敵は若いころいささか齧ったらしいが、とんでもない野暮天にあきれ返り、道具類

を家のどこか奥深くに隠して、トンと目にしたことがない。あのぶくぶく泡立つ緑のお茶

に、ねっとりとした羊羹などは大変よろしきかなと思うが、残念である。


 侘助という花は茶事に用いられるという。だから侘助などと言う名がついたのか、そう

いう名前だったからお茶に使われたのか、よく分からんけれど、静に湧く炉の湯と儚げな

白い花はよく似合って、茶室にピンとした静寂が張り詰めていることだろうと推測する。



 しかし何を隠そう、茶道の稽古というのは、見ていても和服の女性が多いから大いに楽

しいし、万がいち一服御馳走になったりしたら、礼儀をわきまえないからドエラク緊張する

が、とろりとした茶が旨いし、出てくるお菓子は上等だし、大変うれしい。


 ただ残念なことは、そういう機会、チャンス、出会いがまず無いことだ。カフェといって、

外国のお茶を提供するお店はしこたまあるが、抹茶を入れてくれる茶店はない。せっかく

なんだから、抹茶を立ててくれる喫茶店があれば、是非と思うが、出来ないかなあ。



 近ごろなんだか知らんが、国産ものに引き寄せられる。昔の日本人が普通に暮らしてい

た暮らしのあれこれ、そしてもう今の日本人にはすっかり忘れられたもの、そういうものに

とてもいいものもあったのではないかと、しみじみ思う機会が多い。


 まず和服、女性の和服は申し分ないが、もちろん男だっていい。それから茶道、華道な

どの、閑かで落ち着いた芸道(書道がなくなったので漢字が書けない! )。能楽、歌舞

伎、剣道、弓道、それから畳、ふすま、障子、、、どんと焼き、鯉のぼり、菖蒲湯・・・


 ここらでちょこっと足元を見直してみるのはどうか。



                                     

2026/01/17

大寒やさあ来いどんと受て立つ

 



 いよいよ寒さが底に向かうらしい。


 寒さの底が来るなら来てみろ、という気もするが、それには「ヴ~、さみィ~」と口癖のよ

うに言うのは止めなければならない。泰然自若、従容としていなければならない。だいい

ち、かくのごとく寒いの、暑いのと自然の摂理に対して、文句を垂れるべきではない。


 冬は寒い、夏は暑い、当たり前のことである。あたりまえのことを言い立て、書き立てて

も面白くもなんともない。とは言いながら、さりながら、想像力も発想力も記憶力も、何一

つとして満足なものがないので、これはもう、もっとも身近な暑い寒いしか言えないのだ。



 よそのブログなどは、なにしろ本人が行動していて、それに基づいて書かれているのが

多い。それなら人の共感も呼べるだろうと思うが、なあ~~んにも行動せず、部屋の中で

ぶつぶつ田螺のようにただ呟いているのだから、共感もへったくれもない。


 そこいら辺の散歩でも何でもいいから行動しなくてはナ、と考えてはいるが、なかなか

へったくれの腰が上がらない。なんたって、部屋の中は暖かいし、歩かないから楽だし、飲

みたいとき喰いたいときに、いとも簡単に飲み食えるし、怠惰者にとってこれ以上はない。



 天気予報を見ると、20日ごろからドカンと気温が下がるようである。これが寒さの底な

のかどうかわからないけれど、まあ、寒らしい気温なのだろう。そんなように、温かい日と

極く寒い日が交互に現れるようになると、少しづつ少しづつ春が近づくてくる。


 日脚も少し長くなったようだ。冬至のころは4時半ごろには屋根の向こうに沈んでいた

が、近ごろはそれが5時ごろになった。おおむね一月に30分ぐらいづつ伸びてくるらしい、

と覚えている。夕方ベランダに立って、茜色の西の空をぼうお~っと眺めている。




2026/01/16

小魚も岸に籠るや寒の水




 池の水もよく澄んでピンと張りつめているように見える。


 叩けばピンカンと緊張した音がしそうだ。晴天が続き雨がほとんど降らないので、水量

が底を突くほど少ない、が、小魚が姿を消したのは、水量のせいではなく、余にも水が冷

たいから、これは一丁冬ごもりをすべえ、と岸の草むらに逃げ込んだためと思われる。


 冬の水はとにかく見ただけで寒い。身を置いている周りの空気が冴え冴えと冷たいか

ら、その水はさぞかし想像を絶するほど冷たいだろう、と脳味噌が勝手に判断するらしい

が、ひょっとすると空気の方が冷たかったりするので、自分の脳みそながらバカだと思う。



 この池には、だれが放流したのか大きな真鯉や緋鯉もいて賑やかだが、冬の水の中で

彼らは極めて不活発だ。機敏に泳ぎ回ったり餌を探したりしない。うっそりと面倒くさそう

にゆらゆらしている。たぶん水が冷たくて、最小限の動きでことを済ませようとしている。


 まあ、でかい鯉はそんなふうにしてこの時期を過ごすらしい。ただ、いっぱい群れていた

小魚の姿をぱったりと目にしなくなった。餌がないので鯉に食われたのかどうか知らない

(鯉は確か肉食じゃないと思う? )が、岸辺に冬ごもりしているのではあるまいか?



 それにしても、そこいら辺の川には小魚がいっぱい住んでいる。子供のころ釣竿や網を

持って、それらを捕まえることに夢中になっていた身からすると、まさに宝モノの川であ

り、それらを放っぽリぱなしなどということは、考えられないし、許せない。


 今でも川の上から川面を眺めて、小魚の群れを目にすると血が騒いで平静を保てない

ほどである。今の子供たちに言いたい、小魚を捕まえてよもやそれを食わなくてもいい、

捕まえること、釣ること自体に、大いなる喜びがあると思うが、それを感じないか? 


 君たちよ、野っぱらは偉大な大学だゾ。




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