2026/01/29

公園の節分草に寒の風

 



 ほんとうに直径2cmほどの小さくて可憐な花セツブンソウ。


 野生ではトンとお目にかかったことがないから公園へ行き、蝋梅が咲いているその根元

に、消え入りそうに咲いているご尊顔を拝することとなる。小さいし、弱々しいし、北風に

テもなく吹き飛ばされそうに咲いているから、極ごく貴重な花のように思う。


 植えられている狭い一角に人が集まり、ともかくも写真に撮る。おばさんがスマホを近

づける、爺さんがデカいレンズのカメラで割り込んでくる、目立たない小さなカメラを持っ

た人は押し出されて、うろうろと周りを歩く。そして花は間もなく消えて跡形もなくなる。



 野生ではカタクリのように群生するらしいが、まあ見たことがないなあ。よほど環境の好

みが厳しくて、そうめったなところには育たないのだろうか。特別に綺麗だとか華麗だとか

ではないが、まだほとんど花のない早春、厳しい寒さの中で咲くから貴重だ。


 ほとんど花を見ない時期がしばらく続き、寒風ばかりが吹く日々に寒紅梅やら蝋梅やら

が目覚めて花開き、合わせるようにこの節分草も咲きだし、野っぱらでは仏の座の朱が目

立ち、オオイヌノフグリの薄い藍色に眼が惹きつけられて、なんでも花が嬉しく思える。



 春たける頃これらの花を見れば「なんだ、まだ咲いてらあ! 」と、手のひら返しのそっけ

なさだが、このころになると花は次から次、一息つくいとまもなく咲いては散り咲いては散

りするのだから、手のひら返しもバン止む得終えない仕儀なのだ。


 ほんとは、花だとか、暑さ寒さだとかに気を向けることなく過ごせれば一番いいが、なに

しろ他にやることもなく、関心を向ける先はどうしても、花や緑や、寒い暑いになっちまう。

しかしそうして日々を送れるのは、ビンボーだけれど実は有難いことだ。




2026/01/28

早咲きの梅見る公園空澄める

 



 大寒が地面を這いまわっている。


 公園の花たちはどうなっているだろうと出かけてみた。あんのじょう草木はまだまだ冬の

装いで、早咲きの梅と蝋梅がちょっとだけ春を感じさせている。ときおり北風がひょう~~

っと吹いて、空は澄み渡って、雲はどこまでも白く輝き、青く突き抜けるようだ。


 秋に賑わうイチョウ並木のトンネルは、枯れそぼったような白っぽい枝が、余計に寒さを

感じさせた。その辺りだけ、どういうことか中学生がわらわら湧き出していて、どこかの学

校の全校生が動員されたらしい。今日は日曜日なのに何事であろう。



 子供の広場には小学生が元気に「ぽんぽんネット」や「ふわふわドーム」の上で飛び跳ね

ている。どうも子供たちには”寒さ”というものが存在しないらしい。よく見るとどちらの遊

具でも、女の子が圧倒的に多い。なんでかわからないが、男の子は影が薄い。


 この子たちが大人になった時、どこでも女子が目立ち、男子は陰に隠れているような、そ

んな世の中が実現するかもしれないナ、とふと思った。それは恐らく、日本のような国では

よろしきことではないだろうかと思う。男尊女卑の伝統が強すぎるもんナア。



 雑木林の中を歩く。すっかり葉を落とした枝が青空に突き刺さっている。見た目は陽だ

まりのような陽ざしだが、やっぱり北風がひょう~~っと吹いてくる。以前ここでカタクリの

花を見たが、いくらなんでもまだそれは咲かないだろう。枯葉が積もっている。


 この日見た花は、早咲きの梅、蝋梅、雪割草の花、水仙、山茶花、そして黄色い菜花。ま

だまだ景色は冬そのもの、暦もまだ寒中なんだから、そう急がなくていいのだが、春の兆

しみたいなものは見付けられなかった。マ、冬は冬の景色を楽しめばいいだけだが・・・




2026/01/27

炎して世の闇照らせお山焼き

 

                                                                                                                              (AIさん作成)


 寒中の闇夜を焦がす、若草山の炎を一度見てみたい。


 大きなお山が一つ燃え上がるのだから、さぞかし見ごたえ十分、ひょっとすると神の存在

まで感じ取ることができるかもしれない。燃え上がる炎を眺める、ということはもしかする

と、そういう超人的な存在を感じ取ることなのかもしれない、とふと思う。


 そういえば、キャンプの人は焚火の炎を眺めていると、なぜかこころが落ち着くと言う

 、盛大な焚火を見ればなんでか近寄っていきたくなる。またいろんな汚れを火で浄め

る、なんてこともあるし、どんど焼きはともあれデッカイ焚火だともいえる。



 このところ空気が乾燥して山火事が頻発、鎮火に苦慮している。山焼きなどを嬉しがっ

たら、不謹慎デアル、と後ろ指さされそうだけれど、人間が火に対して一種憧れのような

感情を持つのはどうしてだろう。原始時代から火は大切なものだったからだろうか。


 火に対する名状しがたい感情と同じような気持ちを、水に対しても持つようである。水を

見かければまずは近寄ってじっくり眺める。そしてちょっとすぐにはその場を離れ難い。こ

れは焚き火を見たときと、全く同じこころの動きだと思う。なぜそうなるのか、不思議だ。



 「火事と喧嘩は江戸の花」などと言ったらしいが、同じ炎でも火事はどうも見物する気に

ならない。その現場には「不幸」が山ほどあるような気がするし、また人の不幸を、のうの

うと見物するというのは、それこそ不謹慎であり、許しがたいことである。


 近ごろキャンプ流行りでかどうか知らないが、地面で盛大な焚火をするのは禁止らし

い。椎名誠の「いやはや隊」がやっていたような、ドデカイ焚火はもう夢物語になったよう

だ。なにしろブームというのは、いろいろ禁止さるのではた迷惑だと思う。


 奈良の山焼きぐらい盛大な焚火はどこにもない!




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