2026/03/18

温む水はしゃぎながらに堰を落ち

 



 

 実際に水が温んだかどうか知らないが、ともかく温かくなった。


 思えばもうお彼岸である。お彼岸となったからには、もう寒さは原則としてない筈である

から、ひとまずは安心していい。振り返ってみれば、暖冬には違いなかったろうが、なんだ

か案外に寒い冬だった。これは単に年寄りだからそのように感じるのかもしれないが・・・


 寒さに感じやすくなったから、どうもひたすら家の中に籠っていたイメージがある。必要

があって何度か横浜の端っこあたりへ出かけたが、それでも片道2時間程度の電車であ

るから、これもまあ冬ごもりの一形態とみなしてもよさそうだ。



 これからはずっと、こんな感じで冬を過ごすこととなるのかなあと思うと、なにやら面白く

ない。冬山やスキーは絶対に無理だとしても、籠ってばかりいたら気持ちがくしゃくしゃす

る。かといって、やたらに出歩けば寒いし疲れる。何かいい方法はないものか?


 どうもそんな勝手な思いを満足させるものは無さそうである。世の中はそんな都合よく

できていないらしい。仕方がないからやっぱり、基本的に籠ったとしても時としてくしゃくし

ゃしたら寒さを我慢して表に出る、という今までと同じ事を繰り返すしかない。



 そんな取り留めもない感想を後に残して、我が冬は終わったようだ。ひとつの季節に始

まりと終わりが、それは明確でないにしても、なんとは無しのぼんやりだとしても、有ること

はありがたい。なんとなく自分でも区切りがつけやすいように思う。


 この先望むのは、いつまでもカクシャクと元気で飛び回りたい、というような大それたも

のではなく、まあ、小さな不都合はあっても大きく健康を損なうことなく、自分の足で野っ

ぱらくらいを歩ければそれでいいように思う。まったく控えめでささやかな望みだ。


 今回は愚痴が多いなあ。


2026/03/17

雁帰る優しき伝え外ヶ浜

 



 津軽の外ヶ浜に「雁風呂」という伝承がある。


 雁は遥かに大海原を渡って日本に来るとき、小枝を咥えて羽休めにする。外ヶ浜にその

小枝を置いて日本各地に散らばってゆくが、春先に北へ帰る際、命を亡くした雁の小枝

は残り、それを集めて風呂を焚いて供養したという物語が伝えられてきた。


 雁の薄い命を思う哀しい伝承というべきか、小枝で風呂を焚いてその魂を供養する村

人の優しい気持ちを伝えたものというべきか、どちらにしても日本人の心情によく響く物

語りだろうと思う。日本人は元来とてもやさしい性格の民族なのかもしれない。



 しかしながら然りながら、よくよく考えてみれば、この伝承には少しおかしなところがあ

る。第一、なぜ外ヶ浜なのか。雁が渡ってくる地方は日本全国いろいろあると思う。日本

海側であればどこの浜だって渡って来るだろうと思う。


 第二に、水鳥である雁が、羽休めのために小枝なぞ必要とするのか⁉ 疲れたら波間に

ぷかりぷかり浮かんで休めばいいのではないか。それに雁が口にくわえて運べるような

軽い小枝で、羽休めとして立派に機能するのだろうか。眉に唾を着けたい。



 同じようなことを考えたかどうか、Wikipediaさんはこう言っている。「雁風呂」として

木片を落とす場所は、函館の一つ松付近という説と津軽の海岸という説が見受けられる。該当する地方に雁風呂の風習がいつ頃からあったのか、そもそもそういった風習が存在したのかという疑問の声もある[2]。2012年、青森県立図書館の調査により、上記の伝説は1974年のテレビCMで広まったものであり、青森県内で伝承されたものではないと判明した[1]。また、伝説の基となった物語は四時堂其諺『滑稽雑談』(1713年(正徳3年)成立)巻16に収められているが、日本ではなく他国の島での話として収められた物語と判明した[1]


 「上記伝説は1974年のテレビCMで広まった」とあるが、これで思い出すことがある。た

しかこの当時だったと思うのだが。「一杯の掛け蕎麦」という話(貧乏な母娘に掛け蕎麦を

食べさせる蕎麦屋の話)が燎原の火の如く世間に広まった。なんだか話が似ているナア。




2026/03/16

宍道湖の朝静寂にしじみ船

 



 宍道湖のシジミ汁を食い逃してとても残念。


 出雲蕎麦はなんとしても、と思っていたのでありついたが、蜆の味噌汁の方はうっかり

失念してしまった。帰宅して気が付いて、大いに悔んだけれど、これはもうどうすることも

できない失態であり、もうこれから先に宍道湖を訪れることはないだろうと思うと悔しい。


 その時その時にしておかないと、「後で・・・」が利かないことは多いような気がする。子ど

もの時代が終われば子供らしいいたずらは出来ない、青年期にすべきことを中年期にや

ったら顰蹙をかうかも知れない。しかしながらこれは、その最中には案外気づかない。



 宍道湖の味噌汁は悔やまれるが、翌朝松江から出雲へ向かう際、島根半島の山すその

道を走った。そのとき、波静かな湖面にゆったり浮かんでいる蜆取りの小舟を見ていたの

に、ぼんやり見過ごし蜆汁に思いが及ばず、まるで阿呆みたいだがほんとのことだ。


 道中、島根半島の山すその素朴な田舎の光景にすっかり見とれてしまい、一畑電鉄の

寂しい線路が、湖の草の中に見え隠れするのを見つめたりした。湖が見えなくなっても山

すその静かな道は続き、その景色を見ながら、ひとまずは出雲大社に至った。



 大社からの帰りがけ、今度は宍道湖の南側を抜けるべく、出雲平野を横断した。縹緲と

畑が続いて、まっ平らな土地が延々と伸びている。出雲平野というものがこれほど広いと

は、驚きだった。斐伊川が造ったごく狭い砂州だろうと、見くびっていたのだ。


 今思い返せば、島根はなんだか懐かしい。湖も半島も平野も、太古の昔からその地勢

をあまり変えないで現代に繋がっているように感じる。おそらく無暗やたらな工場や高層

マンションなどがないせいだろうと思う。島根はいいところだ。




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