2026/03/19

山寺の日は暮れ残し春彼岸

 



 お彼岸、夜と昼の長さが同じになった。


 ということは、冬至からもう90日以上も過ぎ去ってしまった。「何もしなうちに! 」いう感

慨がわく。過ぎ去った日々を後から振り返るとまことに早い、目まぐるしいほどだが、人間

の脳みそを考えに入れなければ、年月はどこでも同じ速さで流れている筈だ。


 お彼岸だというのに、墓参りもせずに「日が長くなった」などと言って喜んでいては、ナニ

かに対して申し訳ないような気もするが、なにしろ先祖のお墓は遠い場所、おいそれとお

っとり刀で駆けつけるというふうには参らない。まあ近くても同じことかも知れないが・・・



 夏至、彼岸、冬至の意味合いは、もっぱら「太陽が今どのあたりにいるのか」を思い描く

よすがとして機能している。彼岸であれば、冬と夏の中間にいるのだナ、と想像する。そし

て季節の本領はお天道様の動きから2,3か月遅れるので、そんな風にまた思い描く。


 そんな想像を駆使して、暑い寒いに対しなんとなく身構える、という事になる。なにしろ

近頃、暑い寒いは体にようけこたえる、仇やおろそかに打っちゃって置けない。若い時に

平気だったものが、断じて平気でなくなってしまう、というのは哀しいことだ。



 それにしても「暑さ寒さも彼岸まで」という言い方はなんといううまい言葉か、その通り

ぴったしカンカン、実感に合い過ぎている。もうこれ以降、寒いなんて日はないよ、温かく

なる一方で、もう汗をかく心配をしなくちゃならないよ、と言っているのである。


 秋の彼岸であれば、いくらなんでも焦げ付くような日はもうないよ、少しは落ち着いてき

て、ひょっとすると涼やかな風も吹いたりするよ、と言っている。かくのごとくこの言葉は嘘

をつかない、そして彼岸というのも嘘のない一つに区切りである。



 悟りを開くとか、そっちの方はどうすんだ⁉

 




2026/03/18

温む水はしゃぎながらに堰を落ち

 



 

 実際に水が温んだかどうか知らないが、ともかく温かくなった。


 思えばもうお彼岸である。お彼岸となったからには、もう寒さは原則としてない筈である

から、ひとまずは安心していい。振り返ってみれば、暖冬には違いなかったろうが、なんだ

か案外に寒い冬だった。これは単に年寄りだからそのように感じるのかもしれないが・・・


 寒さに感じやすくなったから、どうもひたすら家の中に籠っていたイメージがある。必要

があって何度か横浜の端っこあたりへ出かけたが、それでも片道2時間程度の電車であ

るから、これもまあ冬ごもりの一形態とみなしてもよさそうだ。



 これからはずっと、こんな感じで冬を過ごすこととなるのかなあと思うと、なにやら面白く

ない。冬山やスキーは絶対に無理だとしても、籠ってばかりいたら気持ちがくしゃくしゃす

る。かといって、やたらに出歩けば寒いし疲れる。何かいい方法はないものか?


 どうもそんな勝手な思いを満足させるものは無さそうである。世の中はそんな都合よく

できていないらしい。仕方がないからやっぱり、基本的に籠ったとしても時としてくしゃくし

ゃしたら寒さを我慢して表に出る、という今までと同じ事を繰り返すしかない。



 そんな取り留めもない感想を後に残して、我が冬は終わったようだ。ひとつの季節に始

まりと終わりが、それは明確でないにしても、なんとは無しのぼんやりだとしても、有ること

はありがたい。なんとなく自分でも区切りがつけやすいように思う。


 この先望むのは、いつまでもカクシャクと元気で飛び回りたい、というような大それたも

のではなく、まあ、小さな不都合はあっても大きく健康を損なうことなく、自分の足で野っ

ぱらくらいを歩ければそれでいいように思う。まったく控えめでささやかな望みだ。


 今回は愚痴が多いなあ。


2026/03/17

雁帰る優しき伝え外ヶ浜

 



 津軽の外ヶ浜に「雁風呂」という伝承がある。


 雁は遥かに大海原を渡って日本に来るとき、小枝を咥えて羽休めにする。外ヶ浜にその

小枝を置いて日本各地に散らばってゆくが、春先に北へ帰る際、命を亡くした雁の小枝

は残り、それを集めて風呂を焚いて供養したという物語が伝えられてきた。


 雁の薄い命を思う哀しい伝承というべきか、小枝で風呂を焚いてその魂を供養する村

人の優しい気持ちを伝えたものというべきか、どちらにしても日本人の心情によく響く物

語りだろうと思う。日本人は元来とてもやさしい性格の民族なのかもしれない。



 しかしながら然りながら、よくよく考えてみれば、この伝承には少しおかしなところがあ

る。第一、なぜ外ヶ浜なのか。雁が渡ってくる地方は日本全国いろいろあると思う。日本

海側であればどこの浜だって渡って来るだろうと思う。


 第二に、水鳥である雁が、羽休めのために小枝なぞ必要とするのか⁉ 疲れたら波間に

ぷかりぷかり浮かんで休めばいいのではないか。それに雁が口にくわえて運べるような

軽い小枝で、羽休めとして立派に機能するのだろうか。眉に唾を着けたい。



 同じようなことを考えたかどうか、Wikipediaさんはこう言っている。「雁風呂」として

木片を落とす場所は、函館の一つ松付近という説と津軽の海岸という説が見受けられる。該当する地方に雁風呂の風習がいつ頃からあったのか、そもそもそういった風習が存在したのかという疑問の声もある[2]。2012年、青森県立図書館の調査により、上記の伝説は1974年のテレビCMで広まったものであり、青森県内で伝承されたものではないと判明した[1]。また、伝説の基となった物語は四時堂其諺『滑稽雑談』(1713年(正徳3年)成立)巻16に収められているが、日本ではなく他国の島での話として収められた物語と判明した[1]


 「上記伝説は1974年のテレビCMで広まった」とあるが、これで思い出すことがある。た

しかこの当時だったと思うのだが。「一杯の掛け蕎麦」という話(貧乏な母娘に掛け蕎麦を

食べさせる蕎麦屋の話)が燎原の火の如く世間に広まった。なんだか話が似ているナア。




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