2025/06/16

次はどこサピエンスの旅果てもなく

 



 国立科学博物館の企画展を見に行った。

 

 古代人の人骨からDNAを抽出して解析すると、サピエンスがどこからこの日本列

島へやってきたのか、それはいつごろなのか、などということが明白に分かるのだ

そうだ。そればかりか、旧石器人、縄文人、弥生人などそれぞれのDNAの分析で、

どのような人々がこの列島に住んでいたのか、まで判明するそうだ。


 それを可能にしたのは、爆発的な進展を遂げたDNA解析技術と、炭素14による年

代測定の信頼性がまた大いに進んだことによる、ということらしい。ここ20年ぐら

いでこれらの技術が発展し、それによって人類学、考古学なども思いもよらぬ地平

が開けてきたのだという。




 まず旧石器時代人の人骨が、与那国島から大量に発見され、詳しくDNA分析をし

たところ、この人たちは台湾やフィリピンの人たちとDNAが近縁関係にあることが

分かった。年代測定では2万7千年前とされ、日本最古のヒトの骨格とされた。


 この列島にヒトが来たのは、考古学の見地からは約4万年前とされる。この間に

も北方からもヒトが当然渡ってきたのだろうと思う。なにしろサピエンスはアフリ

カから出て以来、どんなに遠くても、どんなに寒くても、旅を中断しなかった人々

であった。



 この旧石器人がそのまま縄文人となった、とばかり思っていたが、上記旧石器人

のDNAのうち、縄文人に受け継がれたのは60%ほどでしかないという。残りの

40%が違うとなると、よそから列島に入ってきた人々と交流した結果なのだろう。


 誰もいなかった日本列島だから、海さえわたってしまえば暮らしやすい場所だっ

たのだろうか。そんな彼らが土器を作ったのが、今までの学説がひっくり返って、

なんと1万6千年前! 6千年も遡る。そのころからもう、ある程度の定住生活をし

ていたのだのだろう。



 次の弥生時代の開始もまた、5、6百年溯って、2千9百年ほど前になるらしい。稲

を携えてやってきた彼らは、DNA解析の結果、「中国東北部、西遼河流域の雑穀農

民」がその源郷と考えられている。農耕文明が列島に入ったことで、とにかく大変

革が起こっただろう。


 同じモンゴロイドで見た目は似ているが、ゲノムには相当の違いがある。縄文人

のゲノムが現代人に占める割合は、琉球=30%、本土=10~20%、アイヌ=70%

であり、残りはほぼ渡来系弥生人のゲノムが占めるらしい。私たちは渡来系の人々

と入れ替わってしまった。


 サピエンスは次にどこへ旅立とうとしているのだろうか。

 




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