2025/06/17

匂きてあたりを探す栗の花


 


 栗の木はあたりの緑に溶け込んでいる。


 白い花を見て初めて、ああ栗だ、と気付く。今は大粒の、小石ほどもある実が多

いけれど、山の中に自生する栗は、ほんの親指の爪ほどの大きさだ。しかしこれが

案外旨い。天津甘栗を想い出せばそれが分かる。




 縄文人とどんぐり、というのはよく結び付けられるけれど、ドングリはそう簡単

には食うことが出来ないという。水に晒したり、あくを取ったり、なにやらかにや

ら、口にするまでエラク手間ひまがかかるらしい。


 そこへいくと、 栗はいとも簡単、そのまま生でも食えるし、日に干したらかな

りの長期保存もできる。ぐるっと見回してみて、これほど有用な木の実はないよう

に思う。だから三内丸山では栗を栽培したのだろう。




 栗の実はしかし、木の実としてみれば恐ろしいほど地味である。桃やブドウが華

麗なる変身を遂げたのに、栗は縄文太古の昔からほとんど変わっていない。ずう~

っと、地味一点張りで過ごしてきた。可哀そうである。


 ところが有用性という面から見れば、なかなか他の木の実にだって負けてはいな

い。まず、米とタックを組んで、栗ご飯、栗おこわ、これは今でも人気がある。お

菓子方面に目を向ければ、モンブラン、マロングラッセ、天津甘栗と、どっこい、

踏ん張っているのだ。


 栗をもう少し大事にしよう。




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