目の限りの田んぼが枯れはてた。
しかし畦道はなにやら緑で、どっかと腰を下ろして休憩し、周りをよく見てみると、冬枯
れの今、若草が萌えだしているらしい。自然界はもうすでに春の準備をして、虎視眈々い
つ春になってもいいように身構えているのかと思う。エライもんだ!
考えてみれば、自然の草花はなにも、人間の作った四季にきちんと合わせて、芽生えた
り枯れたりしなくてもいい筈だ。それぞれの草や花の都合というものもあるだろうし、それ
ぞれに任せておけばいい。冬のうちに芽を出すとはケシカラン、など言ってはいけない。
と言うことなんだろうけれど、こっちは知らないもんだから、なんで春でもないのに草の
芽が出るんだァ、とビックラこく。これから季節は一途に、頑固に冬になって、日が短くな
り、寒さがいやらしくなり、この世のすべては仮死状態、休憩に入る、と思っている。
そういうこっち側の思い込み、固定観念をぶっ壊すのは容易ではない。なにしろン十年
もの長い間、そういう固定観念まみれになってきた。そうそう簡単には壊れそうもないが、
現物、つまり冬の若草をこの目で確認すれば、これはもう手を挙げるしかない。
そういうふうに、自然界を細かく見ていけば、不思議や驚きがいっぱいあるに違いな
い。ただこっちにその「目」がないものだから、大雑把に乱暴に見ただけで澄ましているの
だろう。もっとも視線の先の、ナニに驚き、ナニを不思議とするか、それぞれだけど…
この世界に存在する「モノ」を見る、という事は、これで案外難しいことなのんだなと思
う。日ごろただ何となく見過ごしているけれど、よくよく、穴が開くほど見つめてみれば、ま
ったく違った何かが見えてくるかもしれない。ただ、それを見るのがいいことかどうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿