2025/12/06

すでにして緑が芽吹く冬田かな

 



 目の限りの田んぼが枯れはてた。


 しかし畦道はなにやら緑で、どっかと腰を下ろして休憩し、周りをよく見てみると、冬枯

れの今、若草が萌えだしているらしい。自然界はもうすでに春の準備をして、虎視眈々い

つ春になってもいいように身構えているのかと思う。エライもんだ!


 考えてみれば、自然の草花はなにも、人間の作った四季にきちんと合わせて、芽生えた

り枯れたりしなくてもいい筈だ。それぞれの草や花の都合というものもあるだろうし、それ

ぞれに任せておけばいい。冬のうちに芽を出すとはケシカラン、など言ってはいけない。



 と言うことなんだろうけれど、こっちは知らないもんだから、なんで春でもないのに草の

芽が出るんだァ、とビックラこく。これから季節は一途に、頑固に冬になって、日が短くな

り、寒さがいやらしくなり、この世のすべては仮死状態、休憩に入る、と思っている。


 そういうこっち側の思い込み、固定観念をぶっ壊すのは容易ではない。なにしろン十年

もの長い間、そういう固定観念まみれになってきた。そうそう簡単には壊れそうもないが、

現物、つまり冬の若草をこの目で確認すれば、これはもう手を挙げるしかない。



 そういうふうに、自然界を細かく見ていけば、不思議や驚きがいっぱいあるに違いな

い。ただこっちにその「目」がないものだから、大雑把に乱暴に見ただけで澄ましているの

だろう。もっとも視線の先の、ナニに驚き、ナニを不思議とするか、それぞれだけど…


 この世界に存在する「モノ」を見る、という事は、これで案外難しいことなのんだなと思

う。日ごろただ何となく見過ごしているけれど、よくよく、穴が開くほど見つめてみれば、ま

ったく違った何かが見えてくるかもしれない。ただ、それを見るのがいいことかどうか?







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