ススキの白い穂が無暗に風になぶられている。
しかしよく見ると、人の美しい銀髪が陽ざしにきらきら光っているようでもあり、大変き
れいだ。こうなる一段階前は、穂の一本一本が目立って、その色は茶色のようでもあり、
また紫っぽい色でもあるようだ。それが時期が進むと銀髪になってしまうらしい。
ススキは広大な原っぱを作る。だから、これがまだ緑の時も見ごたえ十分、ざわざわと
波がしらのように風になびき、原っぱのこっちから向こうへと、その波が伝わっていく様を
見るのも、気宇壮大、ダイナミックな気分になる。なにしろ景観がデカいからいい。
しかし秋になって一面が枯れ茶色に代わってくると、なぜか寂しい気分を醸し出す。今
度はその景観のデカさが、逆に渺茫と果てしなく、どこまでも寂しさが続いて行くような気
になる。ススキを唄った数々の歌もみな、寂しさばかりを強調する。
しかしそのような、ススキによってもたらされるさまざまな感情の起伏は、それはそれと
して、モノとしてのススキに着目すると、また全く別な面が見えてきそうである。世界を、と
言うか目に見えるものを、モノに則してみるかどうかは大変重要だと言われている。
第一に、ススキはわれらの暮らしにとってものすごく有用なモノである。ススキが無けれ
ば屋根が葺けない。白川郷のあの景観はあり得ない。瓦と言う焼物が庶民に普及するま
で、ススキが無ければ、みんな雨がザンザン降り注ぐ中で生活しなくてはならない筈だ。
他には、え~と、え~と、ネットに聞いてみたら、箒、お茶、堆肥、飾り物、クラフト・・・など
などに利用されている、と教えてくれた。え~と、あんまり大したものはないなあ。けれど、
ススキは地味のやせたほとんど荒地のような場所でも、お構いなくぐんぐん育つ。
きわめて優秀な草なのだ。
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