2025/07/03

湖の山を隠して夏の霧


 


 湖を取り巻く山々を霧がすっぽりと隠してしまった。


 だから湖が向こうまで果てしなく続いているように見えるけれど、実はそれほど

広くはない。その霧が山を包んだままなかなか動かない。夏の霧は根性が座ってい

るのかもしれない。いつまで待っていても仕方がないから帰る。


 地上には霧が漂っていないから、これはひょっとして霧ではなく、湖を囲む山々

に発生した雲なのかもしれない。しかし雲だとしたら、上空に上がっていって歴然

とした、だれが見ても「くも! 」といえるような形になるなるはずだが・・・



 雲、霧、靄・・・いろいろありそうだが、その区別は曖昧模糊、ど素人には区別

がつかない。遠い昔の人がこんな曖昧模糊をそれなりに区別して、そうして名前を

付けたのだろうと思う。古来、日本人は芸が細かい、と思う。


 ど素人がせいぜいイメージするのは、「霧笛が俺を読んでいる」「霧の摩周湖」程

度でまことに素寒貧としている。情報が発達し過ぎて、古代人のようにいちいち立

ち止まって眺め、わずかな違いをもって名をつける、などという悠長はもうない。



 天気予報は今でも非常に大事だが、これだってコンピューターが自動的にはじき

出してくれるらしい。それをメディアがわいわいと知らせてくれるので、もうそれ

をなに構わず信じて行動している。予報が外れたら文句を言えばいい。


 昔の人はそんな便利なシステムがないから、各個人で天気を予報したのだろう。

空を見上げ、雲の動きを読み、わずかな風のそよぎを感じ取って予測し、あとはま

あ自己責任で行動しただろう。今はみんなあなた任せでいい。


 自然に対してドンドン鈍感になっていないだろうか。




2025/07/02

いちめんの青田の波や風の道




  ついこの前に田植えが終わったばかり。


 なのに、儚げな早苗はたくましいく育って、青田に成長していた。驚き為五郎の

ような成長の速さ、植物も人間も、子供の成長にはいつもながら目を見晴らせられ

る。稲の穂先がそよいで、風の通り道が見えた。


 それはともかく、青田の先の森も山も、みんな緑でとても美しく目に映じた。都

会から少し離れれば、こんなにも美しい風景が広がっていることに、今更ながら気

付かされもした。人は時として都会を離れてみなければいけないと思う。



 車が通過する道々、どこもかしこも青田が目の限り広がる。イギリスの田舎が、

緩やかな牧草地の連なりだとするならば(行ったことはないけれど)、わが日本は

瑞々しい田んぼの連なりであり、その美しさはイギリスに負けない(と思う)。


 そうして思ったことは、こんなにも限りなく米を作っているんだなあ、という感

慨、こんなに米ばかり作って大丈夫なのか、というど素人の淡い危惧だった。とも

かく山際の僅かな平地さえ、すべて田んぼで埋め尽くされている。



 これほど田んぼで埋め尽くされている日本で、どこをどうしたら「コメ不足」に

なるのだ!? と、これは素朴な疑問。今回の「コメの高値」は、絶対に誰かが仕

組んだ「弱い者いじめ」だとの疑は融けない。


 日本を牛耳る巨大な組織が、ウヒヒヒとほくそ笑みながらコメの値段を操作して

いる。列島中に湧き上がるような、なんでも値上げ、の風潮をチャンスととらえ、

政府の無策を尻目に、かって放題のし放題。


 貧民を甘く見たら巨大なしっぺ返しだゾ。




2025/07/01

遅々として実家片付け梅雨明けし


 


 いやはや大変なことである。


 家の中にこれほどモノが詰まっているとは思いもしなかった。出てくるは出てくるは、押入、箪笥、戸棚、物置から次から次へと、布団、毛布、着物、洋服、食器、洗剤、あれやこれや、山のような物、モノ、もの。


 これらを何とかしてやっつけるのかと思うと、思っただけでうんざりする。なにしろ大人3人だとは言えど、みな揃いもそろってヨボヨボの高齢者、何をするにもヨタヨタのスローモー、前途多難、将来展望開けず。



 まだ十分使えるモノも山のようにあるのだが、そんなことにこだわっていては、ただでさえ進まぬ片付けがストップしてしまう。だから片付屋さんに来てもらった。価値ありそうなものは買取ってくれるという。


 ところが買取り値段を聞いてヘナヘナと腰を抜かしそうになった。先ず着物、帯など。最初に買ったときは何十万円もしただろうに、すべてが50円~100円の買取り値段、「イヤなら引き取らない」と言われれば、もう黙るしかない。


 家具類。「今どきこのスタイルは流行らない」とか言って、引取ってさえくれない。辛うじて2,3点持って行ってくれた。書籍、本の類。これはやたら重い。死ぬような思いしてブックオフに持ち込んだ。日本画の画集など高価なものは、「このテは値段がつきません」だと。ただし引き取ってはくれた。


 

 この片付屋さんとの応接で感じたことは、「時代が変わってしまったのだ」ということ。昔は価値があった着物や家具、書籍類などは、いまの時代すべて無価値になったらしい。自分たちが気づかない間に生活様式ががらりと変わってしまった、ということを痛烈におもい知らされた。


 片付屋さんがわずかなモノを引き取ってくれて、それでも残ったものは山ほどの寝具類、小岩ほどの食器類、その他何やかや。とても老人の手に負えたものではない。最終的には家を処分してくれる人に、モノの処分も依頼することにした。


 時代が変わり価値観を異にする人と共に生きている不思議。



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