2025/08/11

谷川に飛び込む子らの残暑かな

 




 多摩川の支流、秋川の川遊びスポットを巡ってきた。


 上流に町や耕地があまりないから水は案外にきれいだ。まず上流の温泉施設「瀬音の湯」

に車を止めて十里木の遊び場に行く。赤い橋の上から谷川を眺めると、もう子供たちや大人

も混じって、泳いだり崖から飛び込んだりの大騒ぎ、谷間に歓声が響き渡っていた。


 驚いたことに、小学1,2年生と思われる小さな子が、3mほどの岩の上からよどみに向か

って身を躍らせている。彼らの身長からすれば随分高く感じられるはずだが、小さな女の子

までが恐れげもなく飛び込んで、その後母親に向かって泳いでいく顔が誇らしげに見えた。



 中流に下り、気分を変えてお寺「広徳寺」に立ち寄ってみた。季節っぱずれの鶯の声が響

き、蝉は鳴くのを止めて、だれもいない閑静な境内に涼しい風が吹き抜けた。こころなし

か、夏が静かに過ぎ去っていくような風が、頬を撫でてゆく。


 本堂脇の草っぱらにどっかり座って昼飯にした。ふと前を見ると草の茎にセミの抜け殻、

見渡せばあっちの草にもこっちにも、なんぼでも見える。先日、セミの抜け殻はあまり目に

しないよなあ、などと書いたが、とんでもない、やはり抜け殻はセミの数ほどあったのだ。


 お寺を立ち去って川沿いを歩き「秋川橋河川公園」に行く。驚いた。河川敷の砂利の上に

何十ものテントが並び、何百人もの人がバーベキューをしていた。しかし流れの緩やかな浅

瀬は子供たちの領分、水鉄砲を持った小さな女の子が可愛くて見とれてしまった。



 夕刻迫る頃さらに下流の堰がある場所にもいってみた。しかしなんでだろう、ここは閑散

としていた。テントには二組の家族しかいない。夕方になったので皆帰ってしまったんだろ

うか。前の二カ所がすごい盛況だったので、なんだか肩透かしのようだ。


 それでも川の中には、小学低学年ぐらいの女の子3人、仲良く浮き輪でぱしゃぱしゃやっ

ていた。傾いだ日が斜めからさして残照が煌めく。長い時間ぼんやり川面を見つめて過ごし

た。どうもなんだか、今年の夏が後ろ姿を見せ始めたらしいな、などと思いながら。


 灼熱の夏よさらば、もう来るなよ。


 

短い動画(BGM・キャプション) 

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2025/08/08

孫娘花火夢中の日もありし

 



  やっぱり夏は花火だという。

 

 庭ともいえぬ狭い隙間で、こればかりは盛大に敢行する。火薬に火がついて一瞬昼のよう

な光がはじけ飛び、その上バチバチと火薬の音がして、なんだか少し怖い。怖いけれど様々

な色の炎は美しい。美しいから手が離せない。瞬きのうちの夢のようだ。


 その娘もドカドカと学年が上がって大人になってゆく。今ではもう花火に夢中になるのか

どうか、極めてこころもとない。子供はほんとに瞬く間に大人になってしまう。そうして少

しづつ大人の世界から離れ、自分の世界を築き上げる。爺はほろ苦く眺めるしかない。




 家庭花火はともあれ、大人のための花火大会は、三浦半島の海岸ぷちの花火が強烈に印象

に残っている。なにしろ腰を下ろした砂浜の、すぐ鼻の先の海でぶち上げるのだから、もの

すごい音と光である。ドカ~~ンで見上げれば鬼ほどもデカイ光の滴が頭上に降って来る。


 少し離れた民家の庭先でビールを傾けながら見ていれば、極楽、極楽、こんないいことは

ない。三尺玉が連発して、次々に赤、青、黄の大輪の花を咲かせ、滴となって波間に消えて

ゆく。酔うほどに美しく、酔うほどに夢の中に溶け込んでいくようだ。




 花火大会も、有名どころでは、長岡、横手、それに隅田川などがあるようだが、三浦半島

の花火を見たから、もう一生分を見た気になって、出かけていこうという気にならない。だ

いいち、そういうところでは蚊の大群にガシガシ食われるのではないか。


 その上、人が無暗やたらにいるだろう。ワアワア言って何が何だか分からなくならない

か。見終わって帰るとしても、ちょっと歩けばいいや、ということにならないだろうし、考え

るだに大変そうである。誰もいないところで自分専用の花火大会なら見てもいい。


 孫も花火も、思えば遠くなりにけり。




2025/08/07

空蝉の主はどこの木大騒ぎ

 




 セミの数だけ空蝉があるはずだが。


 それほど頻繁に目にすることがないようだ。目にすれば、おっ! 珍しい、と思うほどの

貴重なものに思える。しかしよーく考えてみれば、枝で大騒ぎしている蝉の数だけは、どこ

その抜殻が無くては計算に合わない。たぶん草場の陰あたりにきっとあるのだろう。


 それとも、セミは声がデカいし人の思惑などお構いなしに鳴き立てるので、そこら中の木

の枝がセミだらけ、と思ってしまうが、案外数は少ないのかもしれない。とにもかくにも大

騒ぎするから、ドえらく大勢が群がっているように思うだけなのだろうか?




 しかしセミはどうして、殻を脱ぐ、というようなシチ面倒くさく、かつ危ういことをする

のだろう。詳しいことはまるで知らないが、昆虫というものは皆、こんな面倒くさいことを

しながら生きているのだろうか。そういえば蟹なんかも脱皮するなあ。


 彼らは脱皮した後、少年少女時代とは似てもにつかぬ、蝶やトンボなど、優美な姿に一変

する。まるで化かされたようなものだ。こんな複雑な、面倒な手続きを踏まないと生きてい

けない、というのも難儀なことだなあ。我々のように少しづつ大きく成ればいいのに。




 かくのごとく、生き物は不可思議の塊。だいたいが、この地球に生命の種が生じた、とい

うことが根本的に不思議だ。その種がウジャムジャ何かがどうしてこうなって、それが何十億

年という、うんざりするほどの年月を経過して、こうなっているらしい。


 まあそこまで行くと、なにがなんだかよく分からん話になってしまうけれど、地球という

乗り物が、神様に選ばれた(神様がいるとして)、珍しい星なのかなあ、と神様の方に下駄を

預けるより仕方がないように思う。今日もセミが鳴いている。


 抜け殻がとんでもなく膨らんでしまった。




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