2025/09/03

山かげに胡弓ふるえる風の盆

 



 「風の盆」は盆踊りではないらしい。


 「盆」と付けば、なんでもかんでも盂蘭盆会の関係だと思い込んでいたが、どうもそうではないらし

い。教えられるところによれば、風の盆は二百十日を迎えての風鎮めと、豊作を祈る祭りの踊りな

のだそうだ。だから一般のお盆が過ぎて、二百十日ごろの行事というわけか。


 阿波踊りは盆おどりの一種なのだそうだが、風の盆の踊りは全く違う。阿波踊りは陽気で、かつ華

やかでどう見たって太平洋側の踊りだが、風の盆の踊りはしっとりしめやかで、哀愁漂う日本海側の

踊りだと思う。胡弓の音色がまた切々たる哀切を掻き立て、遠い昔へ思いを誘う。



 阿波踊りが目で見てその華麗さを楽しむものとすれば、風の盆は耳で聞いて想いを沈めていく、そ

な違いがあるように思う。どうも目よりは耳の方が一層感情に近く、情動をかきたてるようだ。絵を

見て感情的になる人は少ないだろうが、音楽を聴けば下手すると涙を流したりする。


 なぜこういう違いがあるのか、そこんところは知らないけれど、どうも目は理性を、そして耳は感情

を主に受持っているのではないかと愚考する。もちろん目だって感情をかきたて、懐かしい故郷の山

河に涙することまもあるし、耳が相手の騒ぎ立てを聞き、逆に落ち着こうと理性的になったりする。



 外界を感じ取る感覚はいずれも脳みそに何かの信号を送っているのだろうが、五感それぞれに脳

みそでその感覚に見合った処理をするのかもしれない。目や耳は上に描いたような処理、残った嗅

覚、触覚、味覚もそれぞれに脳みその処理が違うのかもしれない。


 例えば嗅覚、味覚は専ら食えるもの食えないものの探索、だから理性や感情などには関係しない。

触覚はどうも一部が感情と結びつくようだ。猫や犬だって撫でられれば、大変気持ちよさそうな顔に

なる。喜怒哀楽の「」に結び附いているのではないか、と思われる。・・・ま、閑話休題だナ。


 古い時代の歌や踊りは、なぜかしみじみする。




2025/09/02

空変わりやっと葉月の雲となり




 

 ほんの少しづつ季節が移る。


 酷暑が、これでもか! と頑張って居座り続けるが、空のかなたでは、もうそろそろいいのじゃない

か、ということでときおり秋の雲に変わったりしている。しかし、にもかかわらず地上は相変わらずだ

から、とても秋近しとは思えなく、夏がどれほど頑張るのか、方途もつかない。


 と、言うようなことは、だれしも思っているし言ってもいる。で、言うまいと思えど、やっぱり今日の暑

さかな、と口をついて出てしまう。それほど今年の酷暑はもの凄い。こんな夏はあったもんじゃない、

と思うが現実にあるのだから、どうしようもない。ただおろおろするのが精いっぱいだ。



 そんな塩梅で、このところいささか夏バテ気味であるようだ。朝起きて、なんだかかったるい、元気

がどこかに行ってしまったなあ、と感じる。昼日中はクーラーに入り浸りだし、以前作ってもらった「梅

シロップ」に蜂蜜などを入れて飲んでいるのだから、夏バテはしないつもりであったのだが。


 それでもこの体たらくだから、やっぱり「トシ」を考えてしまう。それを考えるなら、じゃあ、農家のお

年寄りはどうなる⁉ とたちまちにして反論が浮かび上がる。あの人たちは至って元気じゃないか、バ

たのなんのというのは、つまるところ、結局はサボる言い訳に過ぎないのではないのか?



 どっちが正当か知らんけど、結果として「朝さんぽ」をもう5日間もズル休みをしている。なにしろズ

ル休みというのは、これでなかなか魅力的なものだが、大変に後ろめたいものでもある。明日以降は

気温もちょびっと下がると言うし、もうずる休みする言い訳も無くなる。困ったもんだ。


 この先、元気でなくなるまで元気でいたいものだ。元気でなくなるのはいつなのか、その見通しはさ

っぱりわからないけれど、ある日元気でなくなったらそれで分かる。その日が来るまで、おろおろ、グ

ダグダと日を暮らそうと思う。それまでは、あんまり余計なことは考えないようにした方がいいか。


 夏バテも中くらいなりオラが夏。




2025/09/01

熱気なお去る気もなしに九月かな

 



 大きな二つ不安が頭の上に被さっている。


 一つは、この暑さはいったいどこまで続くんだ、もう死ぬぞほんとに! という殺人的な暑さで、我

の限界に近付いている。どこまでも、いつまでも続くんならもうやっていられない。やっていられな

けれど、じゃあ、どうする? と言われても打つ手がないから、ただただ不安である。


 もう一つは、物価高、これもまあドカドカ上って底なしだ。まったく暮らしに貧窮するけれど、だあ~

も助けてはくれない。チビッと賃金は上がったのかもしれないが(なお、年金は知らん顔を決め込

で声を潜めている)、それ以上に物価高はドカドカ止めどなく上昇、これももうやってられない。



 この二つが、年寄りの庶民を限界まで苦しめている。暑さの方は、これはもう自然がやることである

し、手の打ちようもないので、苦しがったまま諦めるしかないが、物価高の方は政治の出番ではない

のか⁉ どこかの党が選挙で負けた責任を、あーだこーだいつまでやっている暇はない筈だ。


 だあ~れも、何らの手も打たないなら、これはまるで江戸時代の飢饉の状況と全く変わりはない。

飢饉のときは金持ちが米を買い占め放題、飢え死にする人が出ても、仕方あんめえ、と高みの見物、

政治はなにもしなかった。これと今の政治状況の、どこが変わるというのだ。



 いつの世も苦しむのは、ビンボー人と庶民のみ、この構図は人の世ができて以来、ちっとも変わら

ないのだろうか⁉ だとすれば、進歩とかいうやつはいったい何なのだろう。月にロケットを打ち上げ

ることのみを、進歩と名付けるのだろうか。それじゃあ、ほんとにやっていられない。


 とにかく、暑さの方はなんとかやり過ごすから、物価高の方に手を入れるべきではないか。総理大

臣などいずれも、まったく実行力のない人がシャシャリ出てくるのだから、もう誰だってかまわない、

ただ一つ、この物価高を何とかするべきだ。まずは、年金をうんと上げろ‼

 

 でも、だあ~れも聞いちゃあいないなあ。




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