2025/09/18

秋の潮浪や寂しき丹後浜

 



 丹後は天橋立に立ち寄る。


 この景色を、どこぞかの山に登って股ぐらから眺めるか、あるいはこの砂州をてくてく歩いて、向こうの浜まで行ってみるか、ちょっと迷ったけれど、どちらも脚下、砂州の始まりのところの砂をわずかに踏んでみただけになった。


 その辺りに文殊堂という、意外と大きなお寺があったのでちょっと立ち寄り、それから波打ち際に出てみた。浪が次から次へと打ち寄せ、それが崩れて白い泡を吐き出すさまは、見ていて飽きなかった。秋の浪はしかしどこか寂し気だ。



 沖あいは深い藍色となって、その上に丹後半島がのびのびと連なっている。これからゆく伊根はどのあたりだろうか、大変楽しみでもあり、こころ急かれる思いもする。なにしろ夕方が近い、伊根までどれほどかかるか、見当がつかない。


 日本の三大風景とか言われる天橋立は、股ぐら覗きもなんか子供じみているし、この砂州を向こうまで歩いてみるのも何だかなあ、という気がする。そうであれば、もうどこを見学すればいいのやら、途方に暮れてしまう。



 遥か遠く出雲へ向かう道すがら、金沢からこっちは特に未踏の地である。どこを走っても、どこに立寄っても、どこもまた嬉しい。特に侘し気な海岸縁の道などは、背中がぞくぞくするほど引込まれる。北陸山陰はおおむねそのようだ。


 華々しくそして賑やかで、なにもかもごちゃ混ぜの太平洋岸に比べれば、静謐で落ち着いて、そして優し気な海や山や街が続いている。おそらく人もまたそうなのであろう、願わくば、これからもそのまま続いてほしいと願うばかりだ。


 秋の海日本海は波静か。



2025/09/17

ほうずきや赤らんでやっとそれが見え

 



 ホウズキは赤くならないと見つけられない。


 赤い実がぶらさがってやっと、お! こんなところにほうずきが、という按排で

ある。それまでの間、忍の一字で葉陰に隠れているのかもしれない。そうして実が

熟れてきて食べごろになったら、さあ、鳥たちよ食ってくれ、とばかりに自己主張

するのであろうか。鳥が気づくようになれば、人だって気が付く。


 御幼少のみぎり、この袋の中の赤く熟れた実をつまんで、女の子たちが楊枝で突

いて中の種を出し、それを口に含んで、ぶ~~と鳴らした。なんだかおもしろそう

なので、真似をしていろいろやってみたが、中の種を出し切るのに忍耐が要る、面

倒くせえ、と無暗に突つきまわすと、丸い実がすぐに破れた。



 女の子たちのように忍耐強くないので、あんまりおもしろくなくて、2,3回で

確か止めてしまった。女の子たちは盛んにぶ~、ぶ~ならしていたが、悪ガキども

はすぐに飽きて、チャンバラごっこだったり、鬼ごっこの方に移ってしまった。そ

れにしても、ほうずきがれっきとした遊び道具だったんだよなあ。


 なんという素朴さ、なんという工夫。もう一つ想い出せば、なんとただの道路が

遊び道具に変身した。路上に〇を描く、それが1個だけ向こうの方へ続いたり、と

きには2個横に並んだり、という具合に描いていく。〇1個は片足だけ、横並びの

〇2個では両足が着ける。それでケンケンパッ、という具合に飛び跳ねて遊ぶ。



 これなどはもう、遊び道具など何もいらないのである。ただの地面とせいぜい石

ころぐらいがあればいい。なにしろ市販の遊び道具などなかったし、あっても買っ

てもらえない。だから、ほうずきにしろ、ケンケンパッにしろ、だれか子供が工夫

して、子供へ、子供へと伝え繋ぎとめてきた遊びではないかと思う。


 むろん今の電子機器の遊びの方が、なんぼか洗練されかつ夢中になるに違いない

が、その辺になんぼでも転がっているモノを使って、遊び道具に仕立ててゆく、と

いうのも、もう夢中になれたものだ。なんしろその辺の棒きれがムラマサになるの

だし、木の股がパチンコになるし、錆びた空き缶が馬の蹄にもなった。


 物がない、というのは不幸ではないナ。




2025/09/16

雲去って三方五湖には秋の水

 



 本来の秋雨前線らしく天気がぐずぐずしていた。


 しかし三方五湖の山道を登るときには運良く晴れあがってくれて、ほんとにきれいな湖

を見ることができた。左前方の淡い水色は、あれは紛れなく日本海の波なのだが、それに

比べ、手前の湖の色は形容しがたい水の色を見せている。ここから五つの湖全部が見渡

せたわけではないが、この光景を見て十分満足した。


 三方五湖、それはとてもきれいな湖沼群なのだと聞いていた。それで前々から一度は見

みたいという望みがあって、ちょうどこのとき、遥か出雲まで、オヤジ3人車で行く途中

あった。山陰の9月はやはりはっきりしない天気が多いと言われたが、この時ばかりは

っきりとよく晴れ、眼下に広がる群青の水や、遥か日本海の浜辺がよく見えた。



 三方五湖を地上から見たのでは、湖の周りの草しか見えない筈だから、どうしても是が

非でどうあっても、どこか上から眺め下ろす必要がある。が、その山道に入る入口が分か

らない。カーナビでも見付けられないものはあるらしい。しょうことなしに店のおばさんを

煩わし、聞いたところとても親切に教えてくれた。


 あのおばさんは(と言ってもまだ40代ぐらいだったが)、いまどうしているだろう。今も元

気で店番をしているだろうか。おばさんの語り口はゆったりとして急がず、細かい点まで

忙しいかもしれないが、嫌がらずに教えてくれた。おばさんの話を聞きながら、われらのは

やる気持ちや焦りがす~~っと消えてゆき、すっかり落ち着きを取り戻した。



 どうも山陰の人はゆっくりと丁寧に話すようだ。太平洋側の弾けるような早口では、なん

だか喧嘩を売られているように感じるが、こっち側の人は別段焦りもしないし、めんどくさ

がる様子もない。この後砂丘で出会ったご夫婦も、ゆったりと落ち着いた話しぶりだった。

こっちの人たちは、どうやら、人生を急がないらしい。時間もゆるりと流れているようだ。


 三方五湖の山道を登って、駐車場がある場所から眺め下ろしたのだが、どうやらこのさ

らに上に展望広場なる「天空テラス」なるものがあるという。ただし、ひとりセンエンだとも

いう。我らはそのセンエンをケチった。若え娘っ子じゃあるまいし、テラスでお茶などしなく

ても別にいい。ここからのこの眺めだけで十分なのだった。


 出雲は遠く、思い出すことは多い。




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