ホウズキは赤くならないと見つけられない。
赤い実がぶらさがってやっと、お! こんなところにほうずきが、という按排で
ある。それまでの間、忍の一字で葉陰に隠れているのかもしれない。そうして実が
熟れてきて食べごろになったら、さあ、鳥たちよ食ってくれ、とばかりに自己主張
するのであろうか。鳥が気づくようになれば、人だって気が付く。
御幼少のみぎり、この袋の中の赤く熟れた実をつまんで、女の子たちが楊枝で突
いて中の種を出し、それを口に含んで、ぶ~~と鳴らした。なんだかおもしろそう
なので、真似をしていろいろやってみたが、中の種を出し切るのに忍耐が要る、面
倒くせえ、と無暗に突つきまわすと、丸い実がすぐに破れた。
女の子たちのように忍耐強くないので、あんまりおもしろくなくて、2,3回で
確か止めてしまった。女の子たちは盛んにぶ~、ぶ~ならしていたが、悪ガキども
はすぐに飽きて、チャンバラごっこだったり、鬼ごっこの方に移ってしまった。そ
れにしても、ほうずきがれっきとした遊び道具だったんだよなあ。
なんという素朴さ、なんという工夫。もう一つ想い出せば、なんとただの道路が
遊び道具に変身した。路上に〇を描く、それが1個だけ向こうの方へ続いたり、と
きには2個横に並んだり、という具合に描いていく。〇1個は片足だけ、横並びの
〇2個では両足が着ける。それでケンケンパッ、という具合に飛び跳ねて遊ぶ。
これなどはもう、遊び道具など何もいらないのである。ただの地面とせいぜい石
ころぐらいがあればいい。なにしろ市販の遊び道具などなかったし、あっても買っ
てもらえない。だから、ほうずきにしろ、ケンケンパッにしろ、だれか子供が工夫
して、子供へ、子供へと伝え繋ぎとめてきた遊びではないかと思う。
むろん今の電子機器の遊びの方が、なんぼか洗練されかつ夢中になるに違いない
が、その辺になんぼでも転がっているモノを使って、遊び道具に仕立ててゆく、と
いうのも、もう夢中になれたものだ。なんしろその辺の棒きれがムラマサになるの
だし、木の股がパチンコになるし、錆びた空き缶が馬の蹄にもなった。
物がない、というのは不幸ではないナ。
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