2025/10/03

山寺の棚にひっそりあけび揺れ

 





 今の子供たちは恐らくアケビを誰も知らない。


 遠い昔、山里の子供にとっては、これはもう紛れなき山のご馳走だった。実の中の白っ

ぽい種の部分が、ねっとりとした和菓子のようで、そしてかすかに甘いのだ。なにしろ甘い

木の実というのは、ほとんど無くて、山の中のガキンチョにとっては貴重であった。


 ただし、この白っぽい部分はそのほとんどが真っ黒な種であって、その周りに着いたほ

んの僅かな餡のようなものを啜り込んで、バフっと種を吐き出すと、口の中にあるかなき

か、なけなしの、幻のような甘さが残るんである。それが秋の山のご馳走なんである。



 こんなことをぐずぐず書き記していると、子供たちばかりか、今の大人だって一斉に声を

そろえて、「ええーッ、ウソ、ホントー?」と叫ばれてしまいそうだけれど、実はホントウのこ

となのだ。もっともこれはビンボー山猿であったが故なのかもしれけれど・・・


 そのころだって、むろん饅頭やお菓子はあったが、そんなものは祭りやなにかのハレの

ものであって、日常つねに腹を空かせているガキにとっては、そんなホンのときたまのもの

に期待をかけるわけにはいかないのだ。なんだってかんだって、あるものは口に入れる。



 長じてあるとき、山の寺に登ったら、境内の隅にあけび棚があって、たわわな実がぶら

ぶら揺れていた。たまたま近所のおばさんがいて、食ってもいいかと聞いたら、「なんぼで

も。誰も食べやしないから」ということで、あんぐりと食ってみた。


 そしてたちまち、上記の如き記憶が、ワラワラと脳みその薄暗い隅から立ち登ってきて、

一瞬にして遠い山里のガキンチョに戻ってしまった。しかし現実のアケビの味は、「トテモ、

食エタモンジャナイ! 」であった。故郷は遠きにありて思うもの・・・


 思えば遠くに来たもんだァ。




2025/10/01

十月や野道の夢を追いかける

 



 さあ十月、やっとこさ涼しくなった。


 こうなると、野っぱら道を無暗に歩きたくなって、どこそこのどのあたりの道がよかったと

か、あの道を何処までも行ったらどこへ行くんだべ、などと脳みその薄暗い片隅から、な

けなしの朧な記憶が浮かんでくる。でも、どこか歩いたことがない道を歩きたい。


 登り坂は親の仇、忌み嫌うこと蛇の如し。なにしろ坂道をほいほい歩ける体力がない、

根性もない、楽しくない。なんにもないから、やっぱり平らな道がいい。こうなるとなにやら

野っぱら道を探すのが大変である。道は無限に転がっているというのになあ。



 地図を見て野っぱら道を探す。まずは等高線を見て、山道だったら即座に脚下、ほぼほ

ぼ平ら、という道を探すが、それはおおむね平野にある。平野にはだいたい街がある。街

中は歩きたくない、うんざりする。こうなれば、おいそれと道は見つからない。


 どこだっていいじゃないか、行き当たりばったり、勝手気ままに行っちまえ! という手が

ないことはないが、それだと駅まで行って、はて、どっち方面の電車に乗ればよかっぺ

か⁇ と出鼻ッから躓き、スッ転んでしまう。それでは一日中駅の中で動けない。



 まあ、それはそれとして、また昔のように、どこか電車の線を一本選び、その沿線をぶら

ぶらしてみようかと思う。なにしろ線路は放射状に四通八達、一時間も乗れば都内のごち

ゃごちゃを抜け出て、空が高くなって、田舎道を歩けるはずだ。


 そこにはアッと驚く為五郎のような、花や紅葉の名所はもちろんないけれど、だれも歩い

ていない、清閑な、昔ながらの田んぼ道が、づう~っと先の方まで伸びているだろう。そこ

を、ぽつらぽつらと彷徨うように、あてどないように、歩ければそれでいい。


 我が帰し道もそんなもんだった。




2025/09/30

尾瀬夜明け燧を隠す霧深し

 



 尾瀬は大昔に行ったっきりだった。


 それからン十年、行きたしと思えど、人がワヤワヤごっちゃりを思えば、なかなかにハー

ドルは高く、もう半分諦めかけていた。のだけれど、年取ってふと「もう尾瀬は見れないの

か」と後ろ髪惹かれ「ならば、今ならなんとか・・・」と一大(?)決心をした。


 そうして、なるべく登り坂の少ないコースを選び、友人二人を騙くらかして誘い、なるべ

く人がごっちゃりでない秋、勇躍行くことに決めた。こッ早い朝、車をごろごろ転がして尾

瀬戸倉の駐車場に到着。なんだか知らないけれど、ここからバスが運んでくれるという。



 バスがぐんぐん登って(バスが昇るのは構わない)、車窓から紅葉を眺めて心躍り、労

せずして鳩待峠に着いてしまった。そこから階段道をどかんどかんと下ったら、そこはもう

れっきとした尾瀬ヶ原、楽ちんなもんだ、とやたら嬉しくなった。


 周りを見渡せばグループの中に、なんだ! 80代とも思える爺さん婆さんがいるではな

いか! いまどきの尾瀬はアンチエイジング、爺さん婆さん大歓迎らしいと知った。いやら

しい登りはバスでひょいっと、歩く道はどこまでも木道整備の親切さである。



 青い空の白い雲が池塘に映って、天下はどこまでも秋の爽やかさ。尾瀬ヶ原は平らだか

ら、特に不満なく歩く。見渡す先は赤茶色に輝く草紅葉、周りの山は紅葉真っ盛り、秋の

陽は寒からず暑からず、なんだかどこまでだって歩けそうである。


 そうして原っぱを終わり山道に入って、三条の滝の、ゴウゴウうなりを上げる水しぶきを

ぼんやり眺め、取って返して「見晴」の山小屋に入る。若いスタッフがきびきび働いて気分

がよかったが、それよりも、なんとまあ風呂に入れる。ギュウ詰めは仕方がないが。



 翌日早く目覚めて表に出てみると、目先も見えないほどの濃い霧、幻想的な眺めに誘わ

れてそこいらを散歩。白い霧の中でかすかに樹木が見え、遠くの山はてっぺんだけが朝

日に照らされて霧の上に浮かんでいる。忍び寄る冬の足音が聞こえそうな眺め。


 霧が晴れ山小屋を出て、きっちり真面目に整備された木道をトコトコ歩く。緩やかな上り

だけれど、木道はそれを感じさせない。道脇の紅葉が朝日にきらきらと輝いている。木道

が切れてごろた石の坂道をほんの少し登ったら、眼下に北方の森林風景が広がった。


 再び木道の整備された道となって、尾瀬沼の青い湖面を左に見ながらぐるっと半周、三

平下にぶつ座わって、宿の大きな握り飯を食いつつ、滑らかな湖面を眺め、目を上げて燧

の雄姿を仰ぐ。そこからちょこちょこっと登って、どかどか下り、大清水バス亭に着いた。


 遥かな尾瀬は遥かのままに。




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