2025/10/08

 柿熟すふるさと冬の近からむ

 



 山里の柿の実が目に付くようになった。


 しかし柿の実は至って地味で謙虚な果物だ。南の国の果物のように、派手っぱしさがど

こにもないし、その味だって、甘いんだか酸っぱいんだか、どうもはっきりしない。さらにそ

の上、鼻っ柱を誘惑するべき馨わしさなんてどこを探しても見つからない。


 どっちかと言えば、やはり南国のみっちりと甘い、爽やかに甘酸っぱい、蠱惑的な香り

芬々の果物に引き付けられてしまうのだが、イヤ、待てしばし! このほのかな甘さ、ほの

かな香り、これにどうも惹きつけられる、ということはないだろうか。”ほのか”、がいい。



 柿の学名は、Diospyros kaki だそうだ。学名に威風堂々、日本名の「カキ」がつけら

れている。これはもう日本人としては大いに威張っていいのではあるまいか。ひょっとして

柿は日本原産か? と思ったが、ネットによれば東アジア一帯が原産地であるらしい。


 ともあれ日本人にはいたって身近な果物なのだ。だからか、裸になった枝に柿の実がぽ

つりぽつりの眺めが心安らぐし、また秋が深まった頃、農家の大きな屋根庇に、干し柿が

連珠のように連なって柔らかな夕日に染まっている風景は、いたく郷愁を誘う。



 しかしながら日本の柿はたいていが渋柿であるのが残念だ。実が大きいのはほぼ渋柿

であるようだが、そこでご先祖様はさまざまに工夫を凝らし、どんな手段を使っても甘くし

てみせる、とばかりに、ああすればどうだ、こうすればどうかと励んだらしい。


 まず湯がく・・・少し渋が抜けるらしい。次は霧吹きで焼酎を吹かけ密閉する・・・ウソみた

いな甘柿に変身。皮をむいて天日に干す・・・甘さ上品実はとろとろ。などがあるようだ。な

んと言っても激変するのは干し柿、清雅で上品な甘さ、とろけるような実、ああ!


 峠こえ寺でもらった柿を食う




2025/10/07

刈入れて案山子も疲れ昼下がり



 


 案山子も近ごろ種類がいろいろだ。


 まるで人そっくりにマネキンを使ったもの、昔ながらの権兵衛スタイル、ワシやタカの猛

禽を模したもの、巨人の目玉みたいなもの、それぞれ工夫細工を極めて賑やかである。こ

れでもって雀が寄り付かなくなれば、この大昔からの戦いは人間の勝利だが・・・


 雀はいったい何にぶつ魂消るのだろう、人間の姿だろうか、それとも音だろうか、はたま

たピカリとする光だろうか。これをお百姓さんは、ああであろうか、こうであろうか、しんね

りむっつりと考えに考え抜き、どれ、一丁ためしてみるべえ、と工夫してきたらしい。



 江戸の昔は「鳴子」などと言う素朴一点張りの道具が使われたようだが、同時に権兵衛

スタイルも併せていたかもしれない。記憶をたどれば、ガキの頃は大砲みたいなものの空

砲をぶっ放して、里中を揺るがしていた。雀どころかこっちまでビックラこいた。


 その後は、きらきらと陽を反射するテープが登場した。これはいきなり驚かさないだけい

いし、反射光がなにやらきれいでもあった。続いて、使い古しのCDが光を反射した。いよ

いよ田んぼにもハイテクが浸透してきたのである。・・・いつの間にか全部消えたけれど。



 こうざっと見てくると、大昔からの人と雀の化かしあい、騙されあいの連綿たる歴史のよ

うである。しかしながら、今もって決定打が生まれないという、苦しい歴史でもありそう

だ。月へロケットを飛ばすことができても、雀の子一匹さえ容易に騙せないのである。


 人間の崇高なる英知をもってしても、生き物を思うように支配できない、ということは逆

から見れば生き物はみな、それぞれに利口だという事にならないか。生き物を皆わが支配

下に服せしめるのは、ひょっとするとできない相談ではないのか。人間よ、驕るなかれ!


 雀の子遊べや案山子の傍に来て。




2025/10/06

車窓埋め黄金の稲穂どこまでも

 



 この時期、車窓いっぱいに稲穂の黄金が波打っている。


 特に東北地方を列車で旅すれば、平野はむろん、盆地だってこの黄金の波が埋め尽く

している。西の方はよく知らないけれど、まあたぶん同じような案配ではないかと推測し

ている。ひょっとしてこれが本物の金属の金(ややこしい)だったら、と不埒を考える。


 本物の金でなくても、この波の輝きはことのほか美しい。なにしろ2千年この方、米を喰

らい、稲を慈しみ育てて今日に至っている国民なのだ。秋風に揺れる稲穂を見て、旨そう

だな、とは思わないまでも、ああ! これなら当分は飢死せずに済みそうだな、と思う。



 さて、もし我が愛する米が食えなくなったらどうする⁉ ・・・ここで視点を思い切って変

えてみる。目ん玉をグウ~ンと上空へ持ち上げ、丸い地球を上から見てみる。そうすると

米なんぞ喰っていない人々が、なんぼでも見えてくるであろう。


 小麦粉を食っている人が多いが、中には「主食はジャガ芋だったけん」という人もいる

し、「ウンニャ、やっぱりタロイモだっぺよ」、「イヤ、なんといってもトウモロコシでないかい」

という人も出てくる。そしてみんなピンピン元気、要するに何を食ってもいいのだ。



 狭苦しい列島のチマチマした慣習からスッと身をかわして、高い天のその上空から地球

を眺め直すことができれば、地球はまだまだ広々と広がっている。どこへ行ってナニを食

おうと、おいそれと死んじまうことはなさそうである。案心していいらしい。


 しかしながらこれは、言うは安し行うは難し、であって、やはりそれなりの、こころの「修

行」が必用なようである。毎日チマチマ、コセコセした思いに沈み込んだら、ちょっと待て、

と一声自分にかけて、天高くこころを持ち上げる修行である。


 出来るかなア。




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