2025/10/27

山里の沸き立つ日あり運動会

 




 運動会はどうしたわけか村人総出となる。


 都会ではどうか知らないが、山里ではお婆が手製の海苔巻きと稲荷寿司を、重箱にぎ

っしり詰め込んで、いそいそと校庭の隅に陣取る。それを遠巻きにして、お父っつぁんもお

っ母さんも所在なげにボウっと佇み、若え衆が一生懸命準備に余念がない。


 というような眺めが展開されたのだったが今はどうだろう。時移り、世が変わっても、海

苔巻きや稲荷がハンバーグやウインナーに変わった程度で、基本としてはほぼ同じ、とみ

てよさそうな気がする。山里では、運動会は子供だけではない村の重大な行事だ。



 わが子が元気で駆け回る姿は、だれが何と言おうと、見て嬉しい。生まれて、生き永らえ

るんだろうかと、頼りなかった子が、いまやエネルギーにあふれ、じっとしていられないほ

どの活力で飛び回っている。やれやれ、これで素直に真っ直ぐに育っていってほしい。


 そういう我が子の姿を、もう一度確認するのが運動会という機会。と同時に、子供たち

だけでは間が持たないから、お父っつぁんもおっ母さんも、腰に手を当てながらヨタヨタ、

よろよろ駆けっこや大玉ころがしに参加せねばならない。我が老いを再確認するのだ。



 時は秋、秋は午前、晴ればれと天は高く、透き通った青空から吹く風は清々しくやさし

い。今日のこの日は、村の寄合もお祭りもめっきり減ってしまったいま、なにをどうしてい

いか手をこまねいているのだが、テレビなど眺めてぼんやりしてはいられない。


 運動会という村の新しいお祭りを、全身全霊、身をもって祀り上げねばなるまい。鎮守

の神に代わって、我が子の成長をいや増して寿ぐ日であらねばならなるまい。それに加え

て、村人の年に一度の健康増進の日でもあってしかるべきではないか。


 この分だと明日も晴だ。




2025/10/25

茫々と砺波散居は秋の雨

 



 富山平野を走っているときはうっすらと晴れていたのに・・・


 そこから低い山を越えて砺波市へ入り、展望台を探しながら山道を登っていったら、な

んと言うことだ! 細かい霧雨が降ってきた。おかげで散居集落の展望は茫々と霧がか

かったように霞んでしまい、しばらく待ってもついに展望は開けなかった。


 何にしろ、広々とした野っ原は高いところから眺め下ろしたい。長野の安曇野も、高いと

ころから見下ろしたら狂喜するほどよかったので、砺波平野の散居集落も、なにがなんで

も、是でも非でも、だれが何と言っても高いところから眺めたかった、なのに・・・



 それでも、煙のように霞む砺波平野のほんの一部を、朧ながらも眺めることができ、そ

れはまあよかった。もう二度とここへ来ることはないだろうと思えば、極めて残念であり尚

且つ無念ではあるが、”北国日和は定めなき”だなあと思って諦めるしかなかった。


 そもそもなんでここに興味を抱いたかと言えば、今までにこういう景観を眼にしたことが

なかったからだ。今まで限りなく見てきた農村風景は、川沿いの狭い段丘か、平野であっ

ても真ん中に田畑があって、その周りの丘陵の裾野に民家が集まっている風景だった。



 こういう広い平野にぱらぱらと農家が散在するという光景は(ネット検索してみたら)案

外全国的に何カ所か存在するそうだ。砺波平野のこの景観できたのは、16、17世紀ご

ろ、近世に入ってからだそうだが、それにしてもひときわ際立っているように思える。


 それにしても、農家が一つ所にかたまっているのと、ぱらぱらに離れ隣の家に行くのがち

ょっと大変、というあり方は、そこに住む人たちの気質に何らかの違いがあるのだろうか、

ないのだろうか。ちなみにAIはどこから見つけたのか、こんなことを言っている。


散居集落(散村)で暮らす人々は、集落(集村)で暮らす人々と比較

して、一般的に自立心が強く、開放的で合理的な気質を持つといわ

れています。



2025/10/24

野は広く榛名の山に天高く




 八高線、児玉駅を出て野っぱらの方へ歩いてゆく。


 このあたりは関東平野の北西の端っこではあるが、広闊な畑がどお~んと広がってい

る。畑には様々な野菜が見え、その先に民家が林に埋もれるようにちらほらしている。地

面は平らで遮るものがなく、遥か北に榛名や赤城の山が群青の影となって聳えている。


 普段は息が詰まるような狭い、みみっちい、鼻がぶっつかるような住宅地に住んでいる

ので、こういう景色に出会うと、なにやら自分がどんどん膨らんで大きくなって、天下を取

ったように思えてくる。歩いていると胸が広がって、深々と深呼吸してみる。



 やがて神流川に突き当たり、渡る橋はいくつもないので地図をよく見ながら、その一つ

の橋を歩く。車がみんなこの橋に集まってくるのだが、渡り終えれば藤岡の家並に入る。こ

こで膨らんでいた気分がちょっと萎む。街中はなんといっても野っぱらほど面白くはない。


 黙々として、疲れて、街並みを抜けると、新幹線の長大な橋脚が高い天の下に飛び込ん

できた。大蛇のようにうねりながら遥かな先に続いている。これが東京からはるばる田ん

ぼを突っ切り、畑を貫いて延々と続いているのかと思うと頭が思考を停止した。



 高崎市の郊外に入って、平野はなお茫洋と広がっていたが、近くに博物館がありそこで

時間を大いに取られて、短い秋の日は既に陰り始めた。高崎駅までの距離を測ってみた

ら、まだ8㎞ぐらい残っている。さあ、大変だ、陽のあるうちにたどり着けるだろうか?


 もう冗談ではない、ヘラヘラしてはいられない。道を見失わないように小さな川に沿って

歩く、歩く、ひたすら歩く。陽がとっぷりと暮れて、足が痛い、疲れた、民家の灯りが寂し

い、そんなことにもう構ってはいられない。・・・高崎駅の明かりのなつかしさ。


 帰りの八高線は途中、鹿とがっぷり組み合って1時間動かず(泣き! )。




訪問記録