2025/11/18

小春日にインフルエンザの床を上げ

 



 いやはや、この半月がすっぽりとどこかへ消えてしまった。


 ように感じたインフルエンザの日々だった。まさか自分が罹患する、などと考えもしなか

った。なにしろ丈夫一式の体だし、流行り病にそそのかされほど神経がこまやかではな

いし、あくまで原始的にあくまで粗雑にできているはずなのだから、と思っていた。


 高熱は出なかったけれど、呼吸がやたらに苦しい。寝ていると眼前にスマホ画面が現

れ、真ん中が丸く白っぽい棒杭のようなものが浮かんできて、それはどうや喉と気管支で

あって、棒杭のようななものをもっと広げて息の通をよくしろと訴えてくるらしかった。



 それが一例で、スマホ画面は次から次、現れては何事かを訴え、命令し、指示する。どう

も本人はスマホ画面をちょこっと何かすると、この苦しみから逃れられるのだと思い込ん

でいあるらしい。現実は虚空の中で目を瞑っているだけで、スマホ画面など見ちゃあいな

いのだが、それがわらわらと立ち現れ、スマホ画面の夢想、幻想が止まらない。


 ここの於いて幻想と現実が逆転した。苦しさの中で脳に浮かんだスマホ画面は、我が幻

想のなせる業、だが当人にっとっちゃあ、まったくの現実である。画面をちょこっとなんとす

れば苦しさから逃れられる、と思い込んで揺るがないのだから・・・



 スマホ画面の方が幻想なのだ、と言い聞かせてやっとこの幻想が減ってきた。しかし息

苦しさはちっとも減らない。別な医者に行ったら「肺炎よ! 」と言われ、なんだか段々と

大ごとになってゆきそうな気がする。またまた馬に食わせるほどの薬をもらった。そうして

ここへきて、ようやく回復の兆し、ああ! どこかへぶん投げてしまった半月の日々。


 でもまあ、永久にぶん投げっぱなしにならずによかったかも。



2025/11/03

托鉢の僧の列ゆく初しぐれ

 



 いつかなにかで見た映像だけど・・・


 寺の門が重々しく開き、墨染めの姿に網代傘の僧がぞろぞろ出てきた。雨が降ってい

る。骨を凍らせるような冷たい雨、しぐれ。そんなものを一向に気に掛けるふうもなく、僧

たちはわらじの足を冷たい雨の中に運んでゆく。寒くてイヤにならないんだろうか。


 そうして山を下りて街に入り、びしゃびしゃしぐれる中、一軒一軒の戸口に佇んでなにや

ら読経をしながらひたすら待つ。やがてオバさんが現れてなにやらを僧が持つ袋に入れ

てくれる。僧は軽く一礼して、なにごともなかったかのような顔で次へ廻ってゆく。



 北陸山陰を旅行したとき、おおむね晴れの日が続いたが、ときおり晴れていると思った

のにいきなり霧のような雨になってしまう、ということがよくあった。これはしぐれではなく、

秋雨の類だったかもしれないが、ほんとに北国日和定めなきだなあ、と思った。


 砺波平野の散居集落を眺めようと、丘に登ったとたんにこの霧のような雨が降り、せっ

かく楽しみにしていた眺めが、まるっきり霧雨にけぶってしまいワヤであったし、足立美術

館の風景にイタク感激して駐車場に戻ってみたら、同じように霧雨が降っていた。



 かの地方では、いまごろ秋雨ではなく、本格的なしぐれ空になってしまったのではなかろ

うかと思う。これはもう秋雨のようなヤワなものじゃなくて、雪の前兆の、しっかりした一人

前の氷雨、骨の髄まで沁みとおって凍らせる、ほんとにイヤな奴なんだろう。


 そして間もなく、空に分厚い黒雲が被さり、ちらほらと冷たく白いものが落ちてきて、何

もかもを鬱陶しく閉じ込める毎日が、うんざり、がっかりするほど続くのではないのか。ち

ょっとだけ、この時期のかの地を見てみたいと思うが、なにしろ寒いだろうなァ。


 こんな根性じゃ、ダミだこりゃ。




2025/11/01

覚悟せむ寒気の前の神無月

 



 11月はまだ秋だろうかもう冬だろうか。


 気象庁は”晩秋である”と言っているようだが、歳時記は”もう冬だよ”と言っている。ど

っちかにキッパリ決めてもらわないと困惑するが、しかしよくよく考えてみれば、暦と季節

がぴったり一致する、なんてことはまずないのだし、九州と北海道では、季節の実感も大

いに違うだろう。だからそんなことはちっとも気にすることではない、かもしれない。


 しかし11月ともなれば、ちょっと先の方の寒さがやはり気にかかる。今夏のように死ぬほ

ど暑いのはむろん嫌だが、これから冬になってやっぱり死ぬほど寒い、というのも御免こ

うむりたい。まあ寒さもほどほどにしてもらって、小春日和の冬だとよろしい。



 冬が近づいたので家の周りの隙間の、駄木の枝を切っぱらうことにした。駄木である上

に、いいからかんの剪定を重ねているので、見るも無残なものばかりだが、それでも一応

散髪しないと、あっちに延びこっちに曲がって、まるで勝手気ままな蓬髪になってしまう。


 先ずは北西の角のミョウガ、枯れかかった茎をエイヤっと引き抜く。半分枯れているから

簡単に抜けてしまう。いつだれが植えたんだか、だれも知らないが、夏の間芽を摘み取っ

て薬味にすると、独特の香りが芬々と薫って、そうめんや蕎麦がうんとうまくなる。


 それからツツジのツンツン伸びたところを刈り揃える。あんまり深く切ってしまうと、来春

ちっとも花が咲かなくなっても困るから、慎重を期す。それから山茶花である。これはもう

花芽が出ているのだが、徒長枝がピンピン立っていて見苦しいからカットする。が、勢い

余って花芽が着いた枝をごっそりと切っぱらッてしまった。困ったもんだ。



 今年は永く咲き続けたサルスベリも丸坊主にする。枝が細いから楽ちんのようだが、細

かい枝が多くて、やがて草臥れてきた。もう止めたくなったが、いくら何でも、やりかけの

ほっぽろかしではいかん、と思いゆるゆると休んでから、やむなく再開。


 次は南東へ廻って、蝋梅と金木犀。蝋梅も花芽ができかかっているが、これはもう、もう

伸びなくていい、と言ってるのにワッセワッセと伸び放題だから、躊躇なくバッサバッサぶ

った伐る。これですっかりエネルギーを使い切ってしまったらしく、もうよれよれ。


 それで休んで最後、金木犀にとりかかる。枝には黄金色の小さな花がまだいっぱい着い

ていたが、もうなんの香も放たない。だからこれも遠慮も配慮も一切なしでゴンゴン伐っ

た。そしたら見にくいトラ刈りになって、あまつさえ形が大歪みに歪んでしまった。ああ!

 



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