2025/12/03

冠雪の富士おおらかに冬の空



 

 近くで見る富士山は恐ろしいほど大きい。


 富士吉田を歩いていた時、ひょいっと角を曲がったら、真正面にとんでもなくでかい白

い壁がそそり立っていて、ハッと息を呑んだ。ちょっと間があってようやく富士の姿だと分

かって、なにやら知らぬ神々しい気持ちが浮かんできたことがあった。


 御殿場あたりから中央道へ乗り換える際も、車窓にドカ~~ンと富士が迫り、びっくりし

たことがあった。この時もやはり、なぜだか知らないが神々しい気持ちになって、しばらく

ぼんやりとその姿を眺め尽くした。富士を見るとどうして神々しい気持ちになるのだろう。



 もしかして、日ごろついぞ見たこともない、恐ろしく巨大なものを突然目にし、どうしてい

いのかビックリして分からず、思わず知らず「ヘイ、恐れ入りやした! 」と、当面畏まって

しまう、という事なのだろうか。それを自分では、神々しい感じ、と決めちゃったりして…


 そうだとすると、なにしろ目にしたことのない大きなものには、まず恐れ入らなければな

らない。そうして神々しく感じなければならない。で、もしかして、ネパールなどに行った日

にゃどうなる。目の前のヒマラヤ山系すべてに恐れ入らなければならない。忙しいこった。



 富士山の話だから、いきなりネパールへ行かなくてもいいのだが、実は富士山に登った

ことがない。外国人でさえわらわら登るらしいけれど、日本人にあるまじく、生涯登らずに

終わりそうだ。あんなところに登るのはなんと言っても苦しそうだ、御免蒙る。


 ひょっとして、富士は登るものではなさそうな気がする。映像で見れば砂と石ころだらけ

で、森もなければ川もないし、美しい湖などとてもありそうにない。砂粒ばかりを眼にして

どこが楽しいのかよく分からない。山登り大ニガテを棚に上げて、そう思う。




2025/12/02

冬日射す城下の屋根の暖かき

 



 見おろすと城下に冬の日が射し始めた。


 郡上八幡にこんなに立派なお城があるとは知らなかったので、白壁の清々しい天守を

見て少しく感動した。こじんまりした天守だけれど、それがまた郡上八幡という山に囲まれ

た小さな城下町に似つかわしく思え、天守も城下もたいへん好ましく感じられた。


 天守のある高台で、手すりに摑まって眺め下ろしていたら、隣にいたおっさんが、いきな

り「郡上のなあ」と歌い始めてビックリしたが、「これが有名な郡上踊りの歌じゃ」と教えて

くれ、頼んでもいないのに一節を歌ってくれた。しわ枯れた、いい声である。



 その歌がいまだに耳に残っている。

 「ぐじょうのなぁ~、はちいまん、でてゆくときわぁ~」

 「あめも、ふうらぁぬうに~そでしぼ~る」


 おっさんはその後、ここのお殿様は青山という苗字で、江戸屋敷のあったところが青山

という地名になって現在に引き継がれている。だから東京の青山はほんとは、ここのお殿

様の持ちもんじゃったのだ、と語ってカンラ、カンラと笑った。


 このおっさん、ちょっとばかり押しつけがましいと思ったけれど、決して不愉快な気分に

はならなかった。おっさんの、並々ならぬ郷土愛とお国自慢が言葉の端々にあふれ、聞く

ものの胸までも打ってくるようだった。ああ、あのおっさん今どうしているだろう。



 郡上町は長良川が市街地を貫流し、また周囲の山から豊富な水が湧き出して、さながら

湧き水の街の如くである。いたるところに小さな流れがあり、澄み切った旨そうな水が流

れている。すっかり気に入ってしまい、町中いたるところを歩き回った。


 長良川の支流、吉田川の対岸も歩き回った。細い路地にびっしりと昔懐かしいような建

物が並び、旅ごころをイヤ増して掻き立てた。日本列島のいたるところで、人々は落ち着

いて静かに暮らしているのだなあ、といたく実感した。冬の日も温かい城下町である。

 



2025/12/01

なにごとか覚悟を決めて十二月

 



 覚悟というのも大げさだけれど・・・


 十二月に入ると「さあて、いよいよだな」という気持ちが湧いてくる。これもなにが「いよ

いよ」なのかさっぱりわからない。だいいち引退爺さんに「いよいよ」などという切羽詰まっ

たような事態がある筈もないが、ともかく気持ちの持ちようがそうなって来る。


 世間様が忙しい時期なのだから、隠居爺いと言えども、なにごとかをこころに決めないと

顔向けできないような、そういう架空の気分が湧き出してしまうのかもしれない。世間の

方は「余計なお世話だ! 」と言うであろうが、とにかく世間に混ざっていたいのだ。



 個人的には「冬至」が、いろんな意味で大きな区切りだと思っている。まずそれまでは、1

分1秒と陽が短くなって、あわや四時半ごろにはもう暗くなってしまい、もう夜ばっかりに

なってしまう。この季節の夜は、暗くて寒くて寂しくて、悪魔の時間帯である。


 それが冬至を一期として、陽は1分1秒と伸び出し、お正月過ぎごろにはびっくりするほ

ど日没が遅くなっている。あな嬉しや、お日様の完全復活である。この時期、寒さは死ぬ

ほどだけれど、輝きを増す力強いお日様に、なにやら希望も湧いてくる。


 だから心情としては「冬至までの我慢だ! 」が覚悟の中身である。陽ざしの復活に棹

差すように、びりびりと寒さが身を縛り付けてくるけれど、なあに、あとは惰性だ。寒さの顔

を見ないようにして、なるべく知らん顔を決め込んでいると、いつの間にか春が来る。



 冬至以外にもいろいろと覚悟を決めておく必要があるかと思う。ビンボーだから借金取

りが押し寄せて来るだろう。世間ではクリスマスというような大行事もある。クリスチャン

ではないから、カンケイねー! のだが、世のなかの騒ぎに落ち着いてはいられない。


 正月準備というものもかって確かあったようだが、我が家はいま何もしない。紙に印刷

された松飾を、ひょいっと玄関に吊るせば、ハイ! おわり。おせちなども作らなくなった。

ンなもん作っても、喜んで食う人がいない。年々歳々、行事は痩せ衰えてきたなあ。


 さあ、冬至まであと20日。




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