2026/01/13

白馬嶺の渓に飛び込むスキーかな

 



 今日はスキーどころではない大荒れの天気かもしれない。

 

 けれどスキーといえば白馬の八方尾根を思い出す。蔵王やら志賀高原やら苗場やらそ

してニセコやら、随分いろんな地方のスキー場に行き、辿り着いたのが八方尾根。なにし

ろコースが恐ろしくい長いし、眺めは好いし、雪質も申し分ない。たちまち虜になった。


 以来シーズンになると八方尾根を思い出して、のこのこ出かける按配となった。今では

考えられないかもしれないが、そのころはまだ民宿がいっぱいあって、といってもまるっき

りの農家ではなく、民宿という名の簡易的、安上がりの宿があって、これがよかった。



 最初のころには、上越の石打あたりの民宿にも止まったことがある。これはもう完璧な農

家で朝になると囲炉裏の周りに宿泊者が集まって、煙にいぶされながら宿の家の人と一

緒に、同じ朝飯を食っていた。今では考えられないことであるが、昔の民宿はそうだった。


 これはこれである種懐かしく思い出されるが、なにしろ囲炉裏は煙たいし、宿の主人な

どは慣れない客応対で、お愛想を作るのがとても大変そうだった。それから折からのスキ

ーブームに乗って民宿は新築されて、運営がおかみさんの手に移って安定してきた。



 このころの民宿は家はきれいだし、部屋も明るく清潔で、食事も驚くほど改善され、ま

あ、宿屋に泊まるのと遜色がなかった。スキーを終えて部屋の炬燵に入りながら、氷の着

いた野沢菜を皿に盛ってもらって、呑んだ燗酒が死ぬほど旨いと思ったりした。


 現在のスキー場がどんな按配なのかよく知らないが、宿泊はホテルに変わってしまっ

て、民宿のように地元の人との交流はもうないのだろう。しかしながらスキー場そのもの

はおいそれと変わらないだろうから、八方尾根の雄大な眺めはそのままだろう。


 スキーは恐ろしく寒いが、とても楽しいものだ。

 



2026/01/12

街天心寒月氷となりにけり

 

                                 (AIさん作成)


 寒月といえば「吾輩猫」の理学者しか頭に浮かばない。


 ほんとは寒の空に煌々と凍てつく月のことだろうが、こういう景観に余り馴染んでこなか

ったので、連想は「吾輩猫」になってしまう。困ったことである。なぜこういう景観になじみ

が無いかといえば、それは簡単、寒いから。なんと言っても寒いところからは逃げたい。


 でもまあ、やむを得ずにこういう光景に出くわしたことはあるような気がする。何かの都

合で帰りが遅くなって、首を縮めながら歩いてふと見上げたら、凍りつくような月が煌々と

照っていた、ということはあったような気がするが、いつのことだったかもうわからない。



 月といえば、随分といろいろな呼び名がある。居待月、立待月などと言うなんだかわか

らない呼称もあり、十六夜などと言うのもあって、とてもじゃないいが覚えられるものじゃ

ない。せいぜいが、三日月、上弦下弦の月ぐらいなところで、まあ間に合わせている。


 月一つにあんなに様々な呼び名があるのは、ちょっとやり過ぎではないのか。平安貴族

様はよっぽど暇を持て余し、やることがないから月について、ああだこうだ、と散々いじり

倒したのだろうと思う。それが今に何か影響があるかといえば、まあ何もない、と思う。



 ところで、またぞろ人類は月に行ってみるらしい。今度はどうも、月の上をジャンプしてそ

れで満足、という按排ではないらしい。月面での持続的な探査と、その視線の遥か先には

火星があり、その足掛かりを築くという面があるようだ。どんなことになるのやら。


 前回(約50年前になるそうだ)月の地面を飛び跳ねた際、日本の小説家が「月は行って

みるところじゃなく、眺めるものである」といったとか言わなかったとか。月へ行くのは、い

かにもアメリカだし、眺めるだけなのは、いかにも日本的だナア、とそのとき思った。


 いろいろあるが月はなにも変わっていない。




2026/01/11

夜寒し氷下魚炙って独り酒

 



 遠い雪国の寒さを想ってみる。


 雪がしんしんと積もるだけではない、時としてひょう~~っと風が巻いて吹雪になる。そ

ういう夜はいかんともし難く、ただ寂寥感に包まれて、背を丸めて閉じこもるしかテがな

い。そんなときに、干した氷下魚の硬く凍ったようなやつを炭火でゆっくりと炙る。


 炙った氷下魚の少し柔らかくなったのを、手で毟って口に入れると、上品で淡白な氷の

味がする。思いやる北国の凍てついた湖は、どこまでも寒く冷たく想像するだけで身震い

が出そうだ。燗酒が体中を経巡っていく途中、目のあたりでポロリとこぼれた。



 氷点下10度くらいならばひょっとして体験したかもしれない、が、マイナス30数度となる

とこれはもう、想像の埒外に出てしまう。それも、ほんの一時ではなく、日常茶飯事ともな

ればどう想像していいかわからない。想像だけなら猿でもできるのにナア。


 「どたん場検索」によれば、最低気温は南極のソ連基地の-89.2℃だそうだ。人間が日

常生活している場所では、オイミャンコ((ロシア)-67.7℃といっている。つくづくと、人

間という動物はなんとまあ、とんでもないところに住み着いていることかと思う。



 個人的な体験の示すところでは、一番ここちよく過ごせるのはどうも18℃~23℃の間

くらいであるようだ。それ以上となれば、次々に着ているものを脱ぎ去っていかねばなら

ない。またそれ以下になると、今度は次々へと服を重ねなくてはならない。


 服を着たり脱いだりしても、もはやどうにもならん、という閾値を越えれば当然あとは機

械の出番となる。夏は扇風機(まだ使っているのだ)、そしてクーラー。冬の今の時期は、

炬燵(まだ使っているのだ)、ストーブ、時としてエアコン。これらに助けられている。


 人間は気温に対して強いのか脆弱なのか分からなくなった!




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