過疎地には小さな子供がいない。村中が静まり返って人の話し声さえ聞えてこない。本
来赤まんま(犬蓼)の実で赤飯を作って遊ぶ小さな子共たちもおらず、過疎地の寂しい風
だけが赤まんまの実を揺らしている。
(AIによる)
長かった夏も、ぐずぐず言いながらどうやら立ち去ってゆく気配である。列島中を水浸し
にし、人が死ぬような熱波で苦しめられたが、いざ立ち去ってゆくとなれば、なぜか一抹の
寂しさを覚える。ほんとにひどい夏だったけれど、来年はもっとひどいかもしれず、こっち
も覚悟を決めなくてはならない。
(AIによる)
溝蕎麦はあまりきれいでもない側溝の中に咲いていたりする。しかし、よく見ると、白い
花の先端が紅に染まり、掃き溜めに何とか、で意外や美しい。あまり人に知られていない
花のひとつだと思うが、自己主張もせず静かに咲いている。
(AIによる)
せっかく赤く美しく染まった花が、夕暮れと共に無残にも萎んで、見る影もなくなってし
まう。暑さが和らぐ宵に旨酒を呑んで、これからが、わたしの自由の時間だ、と思う側から
しおれてしまってはなんとも哀しい花だというしかない。
(AIによる)
夜目をつぶっていると、突然目頭に痛いほどの光が入って来る。遠雷の光りだけがここまで
届いたらしい。地震雷火事親父、と言うがこの中で雷はちっとも怖くない。近頃怖いのは地
震、洪水、火事であって親父の怖さは、とうにどこかに消えてしまっている。
(AIによる)
垂れて、食べる前から口がほの甘い水分で満たされ、いかにも涼しさを感じる。一見、水
だけのように見えるが、AIのまとめ記事によれば、トマトを上回る抗酸化作用、高血圧予
防、血流改善など、驚くほどの栄養素が含まれているらしい。スイカ、中高年食うべし。
(AIによる)
地蔵盆を実際に見たことはないけれど、子供に縁の深い地蔵さんだから、子供たち特製
の泥団子も供物の端っこに供えてあるように想像した。この行事もしかし、AIのまとめに
よると衰退の一途をたどっているように考えられ、少し寂しく感じる。
(AIによる)
京都、五山の送り火は大規模でありかつ又有名でもあるらしいが、実際に見た経験はな
い。山肌に大きな火を灯すのは、想像してもそれだけで豪壮な気分になる。それだから、京
都中の精霊を全部集めて、みな平等に、一緒くたに送って差し上げればいいのではない
か。各家で送り火をする手間暇が省けて、合理的ではないかと思う。
ヒグラシの鳴き声が耳に着くようになった。むしろ梅雨の季節から鳴いていたらしいけれ
ど、聞けども聞こえず、耳にとまることはなかった。周りが幾分か涼しくなって、草々も何と
なく秋の装いとなって、そうして、そういえばという感じで蜩の鳴き声が耳に入ってきた。
か細いかなかなという鳴き声が、秋を迎えるにふさわしい。
(AIによる)
お盆が済んで都会に帰る列車に乗った。胸の中が空洞になったような、一抹の寂しさが
思いを占めている。ふるさとの人々に、また山河に、またいつ会えるだろうかという思いも
する。皆多くは語らずふるさとを過ぎゆく車窓を見つめている。
(AIによる)
お盆の最終日に門口や墓前で、小さな松明を焚いて故人の御霊を天に送る。このころに
なると夏空もやや涼しくなって、どこからかカナカナの声が聞こえてきた。なにかほっとす
るような微かな鳴き声だけれど、秋が近いと思わせる寂しさもその裏側に潜んでいる。
日本の空から星が消えてしまった。今では日本でもよほどの山奥か、外国僻地にでも
出かけなければ星の、宇宙の姿を垣間見ることもできない。我々は近代的で便利な世の
中を創ったが、その一方で貴重なものも多く失ってしまった。
(AIによる)
上の画像は少々誇張だとしても、実際に出入り口を塞ぐばかりに繁茂した朝顔を見たこ
とがある。その時に、朝顔と言えど勢いに乗るとすごいことになるんだ、とだいぶ感心し
た。植物はおとなしいように見えて、案外と恐ろしいものであるかもしれない。
(AIによる)
久しぶりに帰省して昔馴染みに出会うと、いつの間にかびっくりするほど老いてしまって
驚くことしばしばである。自分の方もしっかりと老け込んでいるのに、毎日見慣れていて、
その変化に気づかない。相手もびっくりしてこちらを凝視している。
(AIによる)
今年も大きな花火大会を見ることができなかった。これはもう、なんと言っても現地で花
火の火の粉が降ってきそうな場所で見たい。それができないから線香花火である。しかも
線香花火は、大いなる叙情性に満ちている。か細い火花がパチパチ飛んだ後、次第に火
球にまとまり、それがぽとりと落ちると闇が戻ってきて静寂と共に淋しさが湧いてくる。
(AIによる)
お盆に灯す岐阜提灯は美しい。描かれている涼し気な青い基調の草木が、暑い夏の終わ
るのを告げているようだ。一年の季節が折り返しをする時期でもあり、この後は落ち着いた
日常と、優しい気温にゆっくりと手足を伸ばして過ごしたい。
(AIによる)
夕立も遠のいてもう雨は降らない。遠くの雷が、未だ微かな稲妻を光らせているが、気
温は一気に下がって、夏の夕時を満喫させてくれる。近頃の夏は、毎年殺人的に暑くなっ
たが、こんな夕暮のひとときは、まだ生きているらしい。
(AIによる)
団地広場の盆踊りは今でも盛んなのだろうか。ふるさとを離れ都会に出てきた人たちが、故
郷の盆踊りを懐かしみ、遂に団地の広場で実行することになったのだろう。各地それぞれ盆
踊りの所作は多少違っていても、共通項として「東京音頭」の簡単な所作ならば誰でもが参加
できる。時代の変化はしかし、一時も休まずだから、昔のままではありえないかもしれない。
茅葺の家は夏涼しげに見える。それが山の斜面に数戸固まって、夏の昼下がりの中で
森閑として音もない。人がいるのか居ないのか、表からは伺いようもないけれど、それぞ
れの家族は、たぶんそれぞれの仕事に取り組んでいる最中かもしれない。家族が夕方こ
の家に帰って、クーラーのないこの家の涼しさに、ほっと肩の力を抜くことだろう。
(AIによる)
生きとし生けるもの皆、グッタリうんざりの猛暑の昼下がり、松葉牡丹だけが生き生きと盛
んに咲いている。花色もきれいだし、花期も長いから夏の花にもってこいなのだろう。値段
が安いこともあってどこでも見かかるが、「猛暑に生き生き」は羨ましい限り。
(AIによる)
蓮池に盛んに咲いている蓮の花をじっと見ていると、もしかすると花ごとに仏さまが座って
おられるような気がしてくる。それほど蓮の花色は艶やかで儚げで、夢にいざなうようなそ
んな色をしている。昔の人が蓮に腰掛ける仏をイメージしたのが、分かる気がする。
(AIによる)
七夕を各家ごとに飾ることは見られなくなった。(第一おいそれと、笹竹が手に入らない)
その代わり各町のお祭りとして生きながらえている。男の子にとって、二つの星が年に一度
銀河を越えて相逢う、という物語そのものがあまり面白いものではなかった。
しかしこういう行事がどんどん実生活から消えてゆくのは、やはり一抹の寂しさを感じる。