2025/09/02

空変わりやっと葉月の雲となり




 

 ほんの少しづつ季節が移る。


 酷暑が、これでもか! と頑張って居座り続けるが、空のかなたでは、もうそろそろいいのじゃない

か、ということでときおり秋の雲に変わったりしている。しかし、にもかかわらず地上は相変わらずだ

から、とても秋近しとは思えなく、夏がどれほど頑張るのか、方途もつかない。


 と、言うようなことは、だれしも思っているし言ってもいる。で、言うまいと思えど、やっぱり今日の暑

さかな、と口をついて出てしまう。それほど今年の酷暑はもの凄い。こんな夏はあったもんじゃない、

と思うが現実にあるのだから、どうしようもない。ただおろおろするのが精いっぱいだ。



 そんな塩梅で、このところいささか夏バテ気味であるようだ。朝起きて、なんだかかったるい、元気

がどこかに行ってしまったなあ、と感じる。昼日中はクーラーに入り浸りだし、以前作ってもらった「梅

シロップ」に蜂蜜などを入れて飲んでいるのだから、夏バテはしないつもりであったのだが。


 それでもこの体たらくだから、やっぱり「トシ」を考えてしまう。それを考えるなら、じゃあ、農家のお

年寄りはどうなる⁉ とたちまちにして反論が浮かび上がる。あの人たちは至って元気じゃないか、バ

たのなんのというのは、つまるところ、結局はサボる言い訳に過ぎないのではないのか?



 どっちが正当か知らんけど、結果として「朝さんぽ」をもう5日間もズル休みをしている。なにしろズ

ル休みというのは、これでなかなか魅力的なものだが、大変に後ろめたいものでもある。明日以降は

気温もちょびっと下がると言うし、もうずる休みする言い訳も無くなる。困ったもんだ。


 この先、元気でなくなるまで元気でいたいものだ。元気でなくなるのはいつなのか、その見通しはさ

っぱりわからないけれど、ある日元気でなくなったらそれで分かる。その日が来るまで、おろおろ、グ

ダグダと日を暮らそうと思う。それまでは、あんまり余計なことは考えないようにした方がいいか。


 夏バテも中くらいなりオラが夏。




2025/09/01

熱気なお去る気もなしに九月かな

 



 大きな二つ不安が頭の上に被さっている。


 一つは、この暑さはいったいどこまで続くんだ、もう死ぬぞほんとに! という殺人的な暑さで、我

の限界に近付いている。どこまでも、いつまでも続くんならもうやっていられない。やっていられな

けれど、じゃあ、どうする? と言われても打つ手がないから、ただただ不安である。


 もう一つは、物価高、これもまあドカドカ上って底なしだ。まったく暮らしに貧窮するけれど、だあ~

も助けてはくれない。チビッと賃金は上がったのかもしれないが(なお、年金は知らん顔を決め込

で声を潜めている)、それ以上に物価高はドカドカ止めどなく上昇、これももうやってられない。



 この二つが、年寄りの庶民を限界まで苦しめている。暑さの方は、これはもう自然がやることである

し、手の打ちようもないので、苦しがったまま諦めるしかないが、物価高の方は政治の出番ではない

のか⁉ どこかの党が選挙で負けた責任を、あーだこーだいつまでやっている暇はない筈だ。


 だあ~れも、何らの手も打たないなら、これはまるで江戸時代の飢饉の状況と全く変わりはない。

飢饉のときは金持ちが米を買い占め放題、飢え死にする人が出ても、仕方あんめえ、と高みの見物、

政治はなにもしなかった。これと今の政治状況の、どこが変わるというのだ。



 いつの世も苦しむのは、ビンボー人と庶民のみ、この構図は人の世ができて以来、ちっとも変わら

ないのだろうか⁉ だとすれば、進歩とかいうやつはいったい何なのだろう。月にロケットを打ち上げ

ることのみを、進歩と名付けるのだろうか。それじゃあ、ほんとにやっていられない。


 とにかく、暑さの方はなんとかやり過ごすから、物価高の方に手を入れるべきではないか。総理大

臣などいずれも、まったく実行力のない人がシャシャリ出てくるのだから、もう誰だってかまわない、

ただ一つ、この物価高を何とかするべきだ。まずは、年金をうんと上げろ‼

 

 でも、だあ~れも聞いちゃあいないなあ。




2025/08/30

消えてゆく線香花火夏が去る



 

 線香花火は花火の最後に灯す。

 華々しくいろんな色の花火がはじけ飛んで、さあ、もう花火が無くなった、というところ

で線香花火が登場する。名残を惜しむかのように丁寧に火を点け、ぱちぱち弾ける小さな火

花をじっと見守る。そして最後の最後に、小さな火の玉が残って、やがてぽたりと落ちる。


 終わったね、楽しかった夏休みもあとわずか、また学校が始まるんだなあ、9月も暑いんだ

から休みにすればいいのに、線香花火の終わりが夏休みの終わり、そして夏の終わりのよう

に思う。夏が、線香花火のようにゆっくりと弾けて、静寂の中に火玉をポトリと落とす。



 線香花火は徹底的に地味な花火だ。他の花火のように七色の火を吐くでもなし、空に飛び

あがりもしない。ただ小さな火花がぱちぱち弾けて、それがだんだんゆっくり弾けて、一番

最後は小さな火の玉になって、落ちるか落ちるか、と見守る中ですうっと落ちて消える。


 ほかの花火をバチバチ、ジャワジャワさんざん弾けさせた後の線香花火は、なぜか人を寡

黙にする。皆が押し黙って、華々しくもない、豪快でもない、小さな火花をジイっと見つめ

ている。この時、人のこころにどんな感情が生まれているのだろうか。



 線香花火はこころに静かな情緒を芽生えさせる。これは、消えゆくものに対する惜別の感

情だろうか、それとも夏休みがあと少しかない宿題どうしよう、と焦るこころの寡黙だろう

か。この時は、大人も押し黙り、子供も静かになる。か細い線香花火一本で。


 線香花火は江戸時代につくられたらしい。江戸の人たちは、この地味な花火で十分満足し

たのではないか。まあ、他にないのだから(打ち上げ花火は別にして)、満足するしかないん

だけれど、この線香花火は、ついでに人のこころにしずかな情緒を連れて来た。

 線香花火は無くならないでほしい。




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