2026/03/31

一つ見えあとに群れなす土筆かな


 

 土筆を見つけるとなんだか嬉しくなる。


 めったに見れない、というわけでもなく、春の若菜として特別旨いというわけでもないの

だけれど、このツンツンした姿を見ると、つい摘み取りたい衝動にかられる。思うに、このツ

ンツンは、芽が出たと思ううちにたちまちどこかに消えてしまうからに違いない。


 たちまち消えて、後には暴力的勢いでスギナが伸びてきて、すっかり地面を覆い隠して

しまう。親であるスギナの単調さを思えば、ツクシんぼのこのツンツン具合がなんとも愛ら

しく見えるようである。ツクシとスギナ、こんなに違う親子も変わっていて面白い。



 ツクシは摘み取るところに味わいがある。思い切り摘み取ってしまえば、それでもうなん

だか満足してしまう。むかし摘み取ったのを持ち帰り料って貰ったことがある。が、もう金

輪際ツクシの持ち帰りは厳禁である、旨申し渡され以来、摘み取り衝動を抑えている。


 手を真っ黒に汚してツクシの袴を取り除き、しかる後に油いためだか、お浸しだかにする

のだが、ドエライ手間暇かけて出来上がりは皿の底にちょっぴり、くたっとだらしなく寝ころ

んだツクシである。とてもじゃないが、料理の間尺に合わなすぎる、ということだ。



 不思議なのは、親子でこんなにも形が違っていていいもんだろうかと思う。二つ並べて、

「親子だあ! 」と言っても「ウソだあ! 」としか言えない。そういうのがもう一つある。ふ

きと蕗の薹、長い間、ほぼ大人になるまで、これが親子だとは露ほども考えなかった。


 生物はどうしてこんな複雑怪奇、魑魅魍魎的なことをやってのけるのだろうか。そう思っ

て気が付いたが、昆虫の親子もまた似ても似つかないのが多い。イモムシが蝶になるなん

ていったい誰が信じるだろう。なんのためにそういうことをやるのか⁉


 世の中かは不思議に満ちている。




2026/03/30

コロナ風去って木の芽の緑かな

 



 背中の目立たないところに密かに隠れていたらしい。


 いつの間にっくっ付いたのかわからないが、気が付いたら黒い影は真っ赤な大口を開け

て、人を頭からガリガリ齧っていた。気が付いた時はもう、喉が震え上がるほど痛かった。

水も飲めない、つばさえ飲めない、もちろん飯を食うなんぞ考えも出来ぬ。


 何事が起きているのかさっぱりわからないが、これはもう尋常ならざるところ、一晩苦し

み倒してから医者に行ったら、「コロナだね」「へ? 11月にインフレやったばっかし⁉」・・・

なにもひとりの人間を、そんなに集中して虐めんでもええやないかあ、ええかげんにしろ。



 前回のインフルは、なにしろ呼吸が苦しく、息も絶え絶え、あまつさえ肺炎も併発して、や

たら妄想が湧くわ、眠れないわ、死ぬような思いをしたが、今回はのどの痛みである。やっ

ぱり小さな妄想がわらわら湧いてきて眠れない、喉痛い。やっぱり死ぬ思いがする。


 どっちもその渦中では死ぬような思いをするが、しかしこうして苦しさの峠を越えてみれ

ば、”死ぬ思い”はちと大げさだったかな、と反省する。と共に、どうも近頃体力が急劇に落

ちているのではないかとも思う。落ち込んだところをコロナやインフルにしてやられる。



 この手の病気にかかると、回復まで4,5日、完全に寝込まなければならなくなった。さて

寝込んで夢から覚めるように世間を眺めれば、桜は咲いて満開になり、若葉はわらわら

芽吹いて日毎にぐんぐん伸び伸びと大きくなっているらしい。いつの間に観が強い。


 さてこれで、コロナ、インフルの2大ケタクソ悪しを体験したのだから、もうこの上はずう

~っとこの二つを無用にしてもらいたい。苦しまずとも好いのに苦しむ無駄、寝床に張り

突く時間の無駄、これを一掃して、爽やかな春の空の下を駆け巡らせたまえ。




2026/03/24

吹く風のままにやんわり糸桜

 



 もう少し経てば染井吉野にちょっと遅れて、糸桜(枝垂桜)が咲くはずだ。


 という認識でいるのだが、こればかりはその場所々々の日当たりなどで大いに違ってく

るらしいので断定は出来ない。現に先日、染井吉野が咲き始めたばかりの、お寺の境内

で枝垂れ桜がわがもの顔で咲いているのを見たばかりだ。


 桜も種類ごとに決められた通り、きちんきちんと順序を追って咲いてくれなければ困る。

なにしろ順序が乱れたら、それでもうパニックに陥るタチなのだ。まったく応用が利かな

い、こころにちっとも柔軟性がない、順序が乱れたままずんずん進んだ日にゃ発狂する。



 「糸桜」とも「枝垂桜」とも言うらしいが、これは桜の品種ではなく、どうやら性質であるら

しい。枝が細く枝垂れる、枝が固まる前に先から先から枝が伸びる、そういうタチなので

枝垂れてしまう。ホントかいな、とも思うがそのように教えられた。


 「どたん場検索」すると、「主にエドヒガン桜の変異種で、枝が細長く、柳のように垂れさ

がる桜の総称・・・」と書いてある。エドヒガンと言えば、かの染井吉野のお母さんだと言わ

れている。息子は枝を垂れずしっかりしているが、ほの赤い色が遺伝したようである。



 野川の野川公園のあたりへ行くと、岸辺にこの桜が並んで咲き競い、なんだか夢の国

か、あるいは浄土の国に紛れ込んだような気持ちになる。あまつさえ、連翹の黄色や諸葛

菜の紫などが混じり込めば、どうもこの世の光景ではないような、そんな気分だ。


 近ごろ思いなしか赤い桜をあちこちで見かける。桜と言えば染井吉野一辺倒の白い花

だったが、近ごろ植えられるのは鮮やかな赤が多いように感じる。いろんな種類があるこ

とは豊かで好ましい。出来れば新しい桜の名を覚えたいので、必ず名を書いてほしい。




2026/03/23

うす緑萌えて煙って春の山

 



 いよいよだなあ、自然の変転が急がしくなる。


 こうなるまで冬は長かったけれど、事ここに至ればもう春は一瞬たりとも立ち止まらな

い。毎日々々ぐいぐいと花が咲き、散り、別な花が咲き、散り、して季節はいつの間にか進

む。待ってくれと言っても聞きやしない、知らん顔で自動機械のように進んでゆく。


 どだいが季節とがっぷり四つに組んで、何事かをしようか、というのは通用しないのだ

が、冬の間は遅々として目に付く変化がなかったので、ひょっとしてどうか成かと思った

が、これからは季節に引きずられて、なすがままに身を任せるしか手がないように思う。



 東京は大きな都市だから、自然なんてこれっぽっちしか残されていない、と先入観があ

たけれど住んでみれば、川っぷちの段丘だの、低い丘陵の上だの、そういうちょっと目に

付かないところに、自然らしき片割れが残されている。なんだったら、田んぼだってある。


 季節ごとにそういう場所を目指して歩くのはなんとも言えずいいものだ。掲載の写真も

川っぷちのほんの少しの段丘だけれど、ちょうど今頃から少し後の丘陵の山の風景がしっ

かり写っている。若葉が萌えだして、周り中が薄緑にけぶって、春だッ! となる。



 こんな場所を何年間も探して歩き倒していると、だんだんと遠くに行ってしまうことにな

る、が、遠くと言ってもまあ電車の日帰り圏であって、泊りがけで何日も、というのは考え

て見るだけで大変だから、そういうのは余り考えないこととしている。


 どこも似たり寄ったりで、なあ~~にがおもしろい! と言われるが、少し北の方へ行った

だけで若葉の鮮やかさが目立って違ったりする。また、農村の佇まいがやはりどこか違う

ことに気づいたりするから、どこも同じだと言って切り捨てられないのだ。


 ろくでもないことに興味を持ったものだと困っている。




2026/03/22

駘蕩と城下の寺の桜かな

 



 「江戸文化を楽しむ会」というのがあって、川越を散策することになった。


 当日は呆れるほどきれいに晴れ上がり、温かくやさしい風がそよらと頬を撫で、申し分

のないお彼岸の空である。そのうえ休日であり、観光客がわらわらと押しかけて、小さく

て狭い街のどこでも人が溢れた。蔵の通りなどは人々が詰まってしまい、動けやしない。


 川越は「小江戸」などと呼ばれ、江戸文化の俤が比較的残されていると言われる。例え

ば蔵造りの商店がずらりと並んで残っていたり、幕末に築造された川越城本丸御殿の一

部が残されているし、「時の鐘」となすけられた火の見が再建されたりしている。



 先ず喜多院へいく。家康、家光に庇護された特権的な寺、広~い境内のど真ん中に本

堂が横たわる。なにしろ横幅が広い。この本堂を中心にして、右奥に江戸城の屋敷を移築

したという建物があり、そして脇には五百羅漢が、それぞれもの思いに沈んでいる。


 春の優しい日差しを受けて、参拝者が思い々々に歩き回る。境内の染井吉野はようやく

咲き始めた名ばかりだが、エドヒガンらしい枝垂れが優雅に枝を垂れ、庭園の松の向こう

に河津桜らしい鮮やかな花が見えている。ここだけでももう春が溢れている。



 北へ歩いて市立博物館。城下のジオラマを前にして、ボランテアさんのガイダンス。江戸

時代の街の様子が一気に頭に入った。川越城を取り巻く武家屋敷地と町割りの様子、広

大な喜多院、一直線に並んで軒を接する商家の佇まい。一目瞭然、よ~く分かった。


 明治の大火で焼失した商家は再建され、有名な黒漆喰の耐火建築となった店蔵は、築

造に3年、今の貨幣価値で3億円だそうである。下地から初めて何度も々々も塗り重ね、

恐ろしいほどの手間とお金をつぎ込んである由、現在20棟が残っているという。



 ガイダンスを受けた後本丸御殿を見学、やはり事前に説明されればよく分かる。そこか

ら今度は氷川神社へ行く。境内は若いカップルで超満員、聞けば縁結びの神様なのだそ

うだ。う~む、若い人が縁結びの縁起を担ぐのかあ!  その長い列は続いている。


 川越の街の北辺をぐるっと新河岸川が流れ、氷川神社の裏側に巡っている。川筋の染

井吉野がだいぶ開いている。この花びらが散るとほ、とんど流れのない新河岸川の水面

を埋めて花筏となる。それもまた咲いている花と同様に美しい。



 陽が傾くころ、蔵造りの街並みを歩く、と言っても一向に進まない。向こうからわんさと

人が来るし、こちらからもうようよと向こうへ行く。車に押し込められ、人に突き当たり、そ

れでも蔵造りのお店で、さつま芋のなんちゃらという食べ物を手に入れる。


 あまりにもあんまりだから、「りそなコエドテラス」というちょっとした広場で休憩。なんと

まあ、人力車が4台も待機してそれぞれに若い女性が乗っていた。浴衣を着た若い女性

もいる。今の観光は単に見て回る、じゃなくその場に自ら参加することが必用らしい。


 川越は春爛漫だったように思う。




2026/03/20

人寄らず寂しきままに春炬燵


                              (AIによる)


 お世話になった炬燵だがもう人は寄り付かない。


 冬の間あれほど馴染んだが、今見るとなんだか鬱陶しく感じる。あの暑いんだかそうで

ないんだか、ぬくぬくした曖昧さが、もういいや、と感じさせる。もはや外の陽射しの方が

あったかくて気持ちがいいのだから、悪いけれど役割ご苦労さんなのだ。


 しかしながら、炬燵というのはなかなか侮れない器具ではないかと思う。暖房器具であ

ることは間違いないけれど、そこにそっと付随するものがある。団らん、というか和み、と

いうか、ミカンでも持ってくれば、自ずと人が集まってまったりする仕掛けになっている。



 炬燵は脚、腰だけを温める。風通しのいい日本家屋で、体を部分的に温めてそれでどう

する⁈ と思うのだが、どうも脚を温まれば全身があったまるらしい。外は吹雪でも、一家

中の者が炬燵に足先だけ突っ込んで、布団を引っ被って寝てしまう、それで十分なのだ。


 炬燵は室町時代から使われたと、物知りAIさんが言っている。最初は囲炉裏の余熱に

台と布団を掛けたもの、であったらしい。囲炉裏を一晩中燃やしていたら酸欠になってし

まうから、部屋そのものをあっためるという発想はなかなか出てこない。



 その囲炉裏炬燵がだんだんと発展して、江戸時代には「やぐら炬燵」「置き炬燵」となり、

囲炉裏から解放され、普通の部屋にも置けるようになった。明治の世になって「掘り炬燵」

となり(バーナード・リーチ考案だそうだ)と進化して、現在は電気炬燵一辺倒。


 とまあ、炬燵は場所も取らず、大きな装置も要らず、それでもってなかなか効率のいい

暖房器具だということだが、これは紛れない日本の発明らしい。AIさんによれば、東アジ

アの暖房は、中国:床暖&ペチカ、朝鮮:オンドル、日本:囲炉裏・火鉢・炬燵だという。


 炬燵よ、また来年会いましょう。 




2026/03/19

山寺の日は暮れ残し春彼岸

 



 お彼岸、夜と昼の長さが同じになった。


 ということは、冬至からもう90日以上も過ぎ去ってしまった。「何もしなうちに! 」いう感

慨がわく。過ぎ去った日々を後から振り返るとまことに早い、目まぐるしいほどだが、人間

の脳みそを考えに入れなければ、年月はどこでも同じ速さで流れている筈だ。


 お彼岸だというのに、墓参りもせずに「日が長くなった」などと言って喜んでいては、ナニ

かに対して申し訳ないような気もするが、なにしろ先祖のお墓は遠い場所、おいそれとお

っとり刀で駆けつけるというふうには参らない。まあ近くても同じことかも知れないが・・・



 夏至、彼岸、冬至の意味合いは、もっぱら「太陽が今どのあたりにいるのか」を思い描く

よすがとして機能している。彼岸であれば、冬と夏の中間にいるのだナ、と想像する。そし

て季節の本領はお天道様の動きから2,3か月遅れるので、そんな風にまた思い描く。


 そんな想像を駆使して、暑い寒いに対しなんとなく身構える、という事になる。なにしろ

近頃、暑い寒いは体にようけこたえる、仇やおろそかに打っちゃって置けない。若い時に

平気だったものが、断じて平気でなくなってしまう、というのは哀しいことだ。



 それにしても「暑さ寒さも彼岸まで」という言い方はなんといううまい言葉か、その通り

ぴったしカンカン、実感に合い過ぎている。もうこれ以降、寒いなんて日はないよ、温かく

なる一方で、もう汗をかく心配をしなくちゃならないよ、と言っているのである。


 秋の彼岸であれば、いくらなんでも焦げ付くような日はもうないよ、少しは落ち着いてき

て、ひょっとすると涼やかな風も吹いたりするよ、と言っている。かくのごとくこの言葉は嘘

をつかない、そして彼岸というのも嘘のない一つに区切りである。



 悟りを開くとか、そっちの方はどうすんだ⁉

 




2026/03/18

温む水はしゃぎながらに堰を落ち

 



 

 実際に水が温んだかどうか知らないが、ともかく温かくなった。


 思えばもうお彼岸である。お彼岸となったからには、もう寒さは原則としてない筈である

から、ひとまずは安心していい。振り返ってみれば、暖冬には違いなかったろうが、なんだ

か案外に寒い冬だった。これは単に年寄りだからそのように感じるのかもしれないが・・・


 寒さに感じやすくなったから、どうもひたすら家の中に籠っていたイメージがある。必要

があって何度か横浜の端っこあたりへ出かけたが、それでも片道2時間程度の電車であ

るから、これもまあ冬ごもりの一形態とみなしてもよさそうだ。



 これからはずっと、こんな感じで冬を過ごすこととなるのかなあと思うと、なにやら面白く

ない。冬山やスキーは絶対に無理だとしても、籠ってばかりいたら気持ちがくしゃくしゃす

る。かといって、やたらに出歩けば寒いし疲れる。何かいい方法はないものか?


 どうもそんな勝手な思いを満足させるものは無さそうである。世の中はそんな都合よく

できていないらしい。仕方がないからやっぱり、基本的に籠ったとしても時としてくしゃくし

ゃしたら寒さを我慢して表に出る、という今までと同じ事を繰り返すしかない。



 そんな取り留めもない感想を後に残して、我が冬は終わったようだ。ひとつの季節に始

まりと終わりが、それは明確でないにしても、なんとは無しのぼんやりだとしても、有ること

はありがたい。なんとなく自分でも区切りがつけやすいように思う。


 この先望むのは、いつまでもカクシャクと元気で飛び回りたい、というような大それたも

のではなく、まあ、小さな不都合はあっても大きく健康を損なうことなく、自分の足で野っ

ぱらくらいを歩ければそれでいいように思う。まったく控えめでささやかな望みだ。


 今回は愚痴が多いなあ。


2026/03/17

雁帰る優しき伝え外ヶ浜

 



 津軽の外ヶ浜に「雁風呂」という伝承がある。


 雁は遥かに大海原を渡って日本に来るとき、小枝を咥えて羽休めにする。外ヶ浜にその

小枝を置いて日本各地に散らばってゆくが、春先に北へ帰る際、命を亡くした雁の小枝

は残り、それを集めて風呂を焚いて供養したという物語が伝えられてきた。


 雁の薄い命を思う哀しい伝承というべきか、小枝で風呂を焚いてその魂を供養する村

人の優しい気持ちを伝えたものというべきか、どちらにしても日本人の心情によく響く物

語りだろうと思う。日本人は元来とてもやさしい性格の民族なのかもしれない。



 しかしながら然りながら、よくよく考えてみれば、この伝承には少しおかしなところがあ

る。第一、なぜ外ヶ浜なのか。雁が渡ってくる地方は日本全国いろいろあると思う。日本

海側であればどこの浜だって渡って来るだろうと思う。


 第二に、水鳥である雁が、羽休めのために小枝なぞ必要とするのか⁉ 疲れたら波間に

ぷかりぷかり浮かんで休めばいいのではないか。それに雁が口にくわえて運べるような

軽い小枝で、羽休めとして立派に機能するのだろうか。眉に唾を着けたい。



 同じようなことを考えたかどうか、Wikipediaさんはこう言っている。「雁風呂」として

木片を落とす場所は、函館の一つ松付近という説と津軽の海岸という説が見受けられる。該当する地方に雁風呂の風習がいつ頃からあったのか、そもそもそういった風習が存在したのかという疑問の声もある[2]。2012年、青森県立図書館の調査により、上記の伝説は1974年のテレビCMで広まったものであり、青森県内で伝承されたものではないと判明した[1]。また、伝説の基となった物語は四時堂其諺『滑稽雑談』(1713年(正徳3年)成立)巻16に収められているが、日本ではなく他国の島での話として収められた物語と判明した[1]


 「上記伝説は1974年のテレビCMで広まった」とあるが、これで思い出すことがある。た

しかこの当時だったと思うのだが。「一杯の掛け蕎麦」という話(貧乏な母娘に掛け蕎麦を

食べさせる蕎麦屋の話)が燎原の火の如く世間に広まった。なんだか話が似ているナア。




2026/03/16

宍道湖の朝静寂にしじみ船

 



 宍道湖のシジミ汁を食い逃してとても残念。


 出雲蕎麦はなんとしても、と思っていたのでありついたが、蜆の味噌汁の方はうっかり

失念してしまった。帰宅して気が付いて、大いに悔んだけれど、これはもうどうすることも

できない失態であり、もうこれから先に宍道湖を訪れることはないだろうと思うと悔しい。


 その時その時にしておかないと、「後で・・・」が利かないことは多いような気がする。子ど

もの時代が終われば子供らしいいたずらは出来ない、青年期にすべきことを中年期にや

ったら顰蹙をかうかも知れない。しかしながらこれは、その最中には案外気づかない。



 宍道湖の味噌汁は悔やまれるが、翌朝松江から出雲へ向かう際、島根半島の山すその

道を走った。そのとき、波静かな湖面にゆったり浮かんでいる蜆取りの小舟を見ていたの

に、ぼんやり見過ごし蜆汁に思いが及ばず、まるで阿呆みたいだがほんとのことだ。


 道中、島根半島の山すその素朴な田舎の光景にすっかり見とれてしまい、一畑電鉄の

寂しい線路が、湖の草の中に見え隠れするのを見つめたりした。湖が見えなくなっても山

すその静かな道は続き、その景色を見ながら、ひとまずは出雲大社に至った。



 大社からの帰りがけ、今度は宍道湖の南側を抜けるべく、出雲平野を横断した。縹緲と

畑が続いて、まっ平らな土地が延々と伸びている。出雲平野というものがこれほど広いと

は、驚きだった。斐伊川が造ったごく狭い砂州だろうと、見くびっていたのだ。


 今思い返せば、島根はなんだか懐かしい。湖も半島も平野も、太古の昔からその地勢

をあまり変えないで現代に繋がっているように感じる。おそらく無暗やたらな工場や高層

マンションなどがないせいだろうと思う。島根はいいところだ。




2026/03/15

春雷を遠くに聞きて旅支度

 



 旅は人々の憧れだと思う。

 

 観光、旅行いろいろあるけれど、「旅」と書いてみると、単なる体の移動ではなく、なにか

行った先の人との関わり、みたいなものが付着しているように思われる。だから単に行っ

た先の風景を見、旧跡を訪ね、だけじゃない、微かな期待とまた畏れとを感じる。


 乗り鉄の知人はこう言っていた。「ローカル線に乗る楽しみは、車窓風景もさることなが

ら、乗り合わせた婆さんや爺さんと話をすることだね。二言三言でもその土地の話を聞く

のは楽しい、例え方言がきつくて半分以上理解が及ばないとしてもだ」



 昔の人は予定も計画も立てず、まるで行き当たりばったりのようにして旅をしたらしい。

荷物だって巨大なゴロゴロを引っ張たりせず、小さな振り分け荷物程度で極身軽に出か

けた。芭蕉の旅もそのようであり、各地の知人が宿も飯も十分にお世話してくれたのだ。


 菅江真澄のことを書いた本を見たが、彼こそまさに放浪の旅の生涯を送った人であった

らしい。30歳ぐらいで故郷三河を離れ、以来みちのくや蝦夷地を経巡って、秋田あたりの

豪農に止宿して日を送り、遂に故郷へ帰らず旅の異郷の空で生涯を閉じた。



 昔はどうもこの手の放浪型の旅ができたらしい。生活に必要な一切合切を旅先の泊ま

り宿で見てくれるわけである。その代わりに農家を手伝え、とも特段要求されなかったよ

うだ。泊めてくれる農家にとっても、諸国を経巡った真澄の話が興味深かっただろう。


 これを現代に引き移してみるとどうなるのだろうか。日本各地を放浪する、という意味合

いでは車中泊などが似ているかもしれない。しかし車中泊は地元の人との交流が少ない

ようである。東南アジアで交流を深めている例がある。コンドミニアムなどと言う安宿に泊

まり、地元民と交流しながら旅を続ける人(高齢者)もいる。


 「旅」は案外「案ずるより産むが易し」なのだろうか。


 


2026/03/11

芦野にて柳に偲ぶ西行忌

 

                          (ネットより拝借)


 春まだ浅い時期に芦野の遊行柳へ行った。


 空はすっからかんに晴れて、温かい風が吹いている。那須野原というのか、低い丘陵が

連なる野は広く、遠くの山は紫に霞んでいる。歩いている細道の土手には、若草が萌えだ

し、タンポポの黄色が点々と連なり、連翹が明るく輝いて、とても気分がいい。


 芦野の里道に入ると、田んぼが広がり畦道に可憐な野の花が咲いて、家々の庭には梅

や桃や木瓜の花が咲き、桜もまだ散り残っていた。黒い瓦を乗せた昔ながらの家が点在

し、花に囲まれた里だが、田んぼにも道にも人影はなく、眠ったように静かだ。



 遊行柳は芦野の里の田んぼの中にあった。周りには何もなく、水を引き込む前の田ん

ぼが広がっているばかり。畔のような細道を辿っていくと、狭い畦道に若い柳の木があ

り、柔らかな緑の芽が微かな風に揺れている。桜も一本あったがすでに散ったらしい。


 辺りを見回すと、素朴な自然石の歌碑や句碑が並んでいる。「道のべに清水流るる柳か

げしばしとてこそ立ちどまりつれ」・・・これは西行の歌碑。芭蕉も奥の細道の途次ここに立

ち寄っている。「田一枚植えて立ち去る柳かな」の句碑。「柳散清水涸石處々」は蕪村。



 だたっぴろい那須野が原の、なんと言うこともない芦野の里の、なんでもない田んぼ

の中に、こんなにも有名人の碑が残っている。その何十倍、何百倍もの人が、このひっ

そりした里の田んぼを訪れたのか、想像もつかないけれど、よく今に残ったと思う。


 遊行柳の地にひとしきり佇んで立ち去り、また春爛漫の野道を歩いた。ただ通り過ぎ

てしまうのが勿体ないような、里道の佇まいと申し分ないほどの日和である。春の日は

まだまだ十分高い、さてこの先には、何が待ち受けているのだろう、楽しみだ。




2026/03/10

火の滝が堂に飛び散るお水取り

 

                                                                                                                            (ネットより)


 東大寺のお水取りのころはみっしり寒い、という記憶がある。


 然るに今年はなにやら春めいていて、ほわほわした空気が漂っている。むろん遠く離れ

た奈良だから、直接にお水取りという行事を見たわけではない。だからお水取りの日が寒

いのか暖かいのよく知らないけれど、やはり温暖化で今年は暖かいのではないか?


 テレビなどで見る限り、大たいまつが二月堂の回廊を駆け回るのは、ずいぶん豪放なそ

して豪胆な行事に思える。万事が静かなお寺の行事としては、珍しいのではないか。寒さ

に縮こまっている時期だから、豪放豪胆な炎の行事は見ていて元気が出る。



 このお水取りの行事が終わると、奈良にも本格的な春が来るという。奈良の春、と言え

ばたちまち目の前に牧歌的な妄想が浮かんでくる。広い東大寺の若葉、山の辺の道のタ

ンポポやツクシ、朱塗りが青空に映える朱雀門・・・奈良と言えばなんと言っても牧歌だ。


 奈良には一度だけ行ったことがある。うんと大昔のうんと若いころ一度だけ、どこを巡っ

たのかよく覚えていないけれど、東大寺は微かな記憶が残っていて、たしか二月堂も見た

ように思う。外はバスに乗ってわざわざ法隆寺まで行ったようだが、はっきりしない。



 京都から奈良に言ったので、その落差は大きく感じられた。奈良は取り澄ましたところが

なく、素朴で田舎で、法隆寺の斑鳩あたりはまるでどこかの田舎の野辺を歩いているよう

に感じられた。すっかり気に入って、呑んで遅く帰ったら旅館を締め出された。


 この時は京都、奈良、大阪をちょびっとづつ経巡ったのだけれど、大昔だからもうすっか

り変わってしまって、どこも思い出すこともできないに違いない。こっちの頭の暗闇に、そ

の時の微かな記憶が残ったが、そんな場所はもうどこにもなく、どこかに消えてしまった。



 

2026/03/09

春めいて合掌屋根を葺き替える

 



 白川郷を取り囲む山々に残雪がまだ分厚い


 しかし風はもう春のように温かく、合掌造りの大屋根の間を縫って歩いて心地が良い。

驚いたことに、雪解けが始まったばかりなのに、もう屋根の吹き替えが始まっていた。映像

で見たように村中総出、ということではなく、10人足らずの人足が屋根に上っている。


 これだけの数の茅葺大屋根があるのだから、ひょっとすると雪解けと同時に屋根の吹き

替えを始めないと、又来る冬までに終わらないのかもしれない。しばらく見ていたけれど、

職人たちは要領よくスムーズに、どんどん吹き替えを進めていくようだった。



 里の中の田んぼや畑の隅にまだ少し雪が残っていたが、ほとんどは土が露出して畔に

は若草も萌え、「雪解け」の季節に突入したという風情があふれている。田んぼの間に曲

がりくねる細道は、もうかんかんに乾いてして、土埃が舞うかと思うほどだ。


 家の庭に近所の人が4,5人集まっていどば井戸端会議のようである。この季節、何より

うれしい気持ちになっているだろうと思う。長い雪の下の生活からようやく解放されて、さ

あ、これからは一直線に春に向かう。花が咲き鳥が歌い風が薫る春である。



 里の奥の小高い丘に登ってみた。山にすっぽりと囲まれるように存在している里がひと

目で見渡せる。周りを囲む山肌にはまだ白く輝く雪が残っている。裸になったままの灰色

の雑木が立ち並び、それを杉林が黒く囲んでいる。山はまだ冬のままだ。


 空には白く薄い雲が張り付いて動かない。その雲の下に灰色の乾いた街道が一本貫い

ているのが見える。その街道の右左に合掌屋根が高く抜きん出ている。手前のほうには

雪が解けて畔を現わした小さな田んぼが見下ろせる。里はもう春が始まる。




2026/03/08

陽ざしまで黄色に染めて花ミモザ

 



 久しぶりに公園を歩いたらミモザが咲いていた。


 あまり馴染みの花ではないけれど、この花の近く一帯の空間ををパッと明るくしている

ように見えるて、人が大勢まわりに集まって、大撮影会をしていた。春先の黄色の花は、ど

れもみな、その辺りの空気を明るくしてしまうようである。山茱萸、マンサク、連翹など。


 近くに木蓮の木があり、これもいつの間にか満開になっている。3月になって、季節がぐ

っと進んだ感じになった。それはもう、「劇的に」と言ってもいいような変化であり、季節は

正直者で、きちんきちんと春の仕事をしつつある。エライもんだ。



 河津桜も満開、あるいは少し散かけていて、「いつの間に! 」という感じだ。染井吉野も

いいけれど、河津桜がずうう~っと続いている並木道も大いに見ごたえがある。けれど、

河津に行ったことはない(映像だけ見た)。各地にいろんな色の桜が増えればいいと思う。


 寒緋桜というのも咲いている。紫がかったような赤のうんと濃い色で、咲きかけは俯い

た花をつけている。この桜は色が濃くはっきりしているので、数本並んでいても見事だ。

沖縄など暖かい地方の桜だそうだが、この公園でも毎年元気に咲く。



 公園の花は、総体として梅が後退して、桜の類が前面に出てきた感じだ。そうして地面

を見ると、遅咲きの梅の下で水仙の鮮やかな黄色が覆い尽くし、大勢の人が写生してい

る。絵が描ける人は幸いなるかな、といつも思う。無芸無能で終わるのはサビシィー! 


 もうしばらくすると公園の景観はまたゴロリと変わっているだろう。染井吉野が大手を振

って咲き、連翹や雪柳が色どりを添え、桃も大きな花を咲かせるかもしれない。しかしそ

のころは野っぱらの道端にもタンポポが群生し、小さな野の花が勢いづいているだろう。




2026/03/06

せせらぎの水音に堪えず落ち椿

 



 椿はたいてい仰向けに落ちている。


 花びらを伏せて俯きに散っている椿はあまり見たことがない。そこで、「落ちざまに虻を

伏せたる椿かな(漱石)」という句が議論になるらしい。椿の花を見るたびに、このことを思

い出して散った花びらを眺めるが、俯きか仰向けか、どちらが正しいのかわからない。


 椿を眺めるのに、小難しい物理学的理屈を考えるのは、いささか興ざめのような気がす

る。それで、同時期に咲く山茶花と比べてみたりする。大きな違いは、山茶花が花びらを

一枚ずつ散らすに対して、椿は花びらも蕊も一緒くたにぼとりと散ってしまう。



 これ以外にも細かい点に違いがあるのだろうけれど、大雑把いい加減の自分にはわか

らない。で、どちらが好ましいかと言えば、なんでか山茶花のほうである。だいいちに花び

らが一枚づつハラハラと散るのが好ましい。なんだか嫋やかな感じがするではないか。


 しかし椿の方に魅力がないではない。花の深い赤色は見て美しい。それに実から油がと

れる。この椿油は油として大変優秀なんだそうだ。食用としてもいいし、肌や髪にもいいと

言っている。(それにしては、スーパーなどで見かけないのはどうしてだろう? )



 桜のころ山極の道を歩いていて、神社の境内でお婆さんに出会った。問わず語りに、娘

時代、大島から船に乗って東京下町に椿油を行商していた、という話をした。大島から椿

油を担いで上京すると、拠点の家で寝起きし一週間ぐらい行商して歩いたという。


 若かったのでお得意さんを巡り歩くのは楽しかった、まったく苦労と思わなかった、と言

う。ただ背中の椿油が重くておもくて、それが一番辛かったと言う。今は引退し、下町の娘

の家で日を送っていると話した。お婆さんの肩に桜の花びらがハラハラと散っていた。




2026/03/05

雪形を仰ぎあおぎて畑を打つ

 



 昔は山の残雪の形を見て種まく日を決めたらしい。


 なにしろ天気予報の類これ皆無にして、まあ参考にするのは暦位だったろうと思う。それ

よりも毎日肌で感じる寒さ温かさ、雪の消え具合、草の芽吹き、そんな身の回りの現象を

参考にして、それまでのわが身の経験を加味して決める方がよかったのだろう。


 今はなにを参考にして種まきの時期を判断するのだろうか? 気象庁の長期予報などと

いうものもあるが、あれは大きに信用できるものなのか。毎日の予報にしても、2,3日先

までは信用しているが、それ以上となるとまあ参考に、という程度である。



 そう考えると、山の雪形を見て判断する、というのはあんがい理に叶っていたのかもし

れない。なにしろ雪形は季節の移り変わりをそのまんま表している。なんの手掛かりも持

たない徒手空拳のお百姓にとって、なにものにも増す情報源だったろう。


 そんな風に思って「どたん場検索」してみたら、ウェキペディアは「古来の雪形は「農業形

態の進歩」と「気象観測の発達整備」に農事暦としての役割を失いつつある」と言ってい

る。それはつまり気象庁の長期予報が農事歴として大きな力になっている、ということか。



 そう思ったから今度は「現代の農事歴」で「どたん場検索」。AIさんらしい人がこう言っ

ている。「データとスマート農業: 昔ながらの知恵と現代技術(ドローン、AI、自動化)が融

し、天候や生育状況をデータ管理して効率的な栽培を実現」という。


 やはりそうだ、世のなかは知らぬ間にゴロリと変わっていた。雪形なんぞ眺めて喜んで

いる場合じゃなかった。農事歴もAIさんやらビッグデータやらを使いまくってどんどこ進

歩していたのだ。まったく自覚なく世の中に遅れている、恐ろしいこった!




2026/03/04

春雨のひと降りごとに温かさ

 



 当地方ではときおり南岸低気圧が通り抜ける。


 この低気圧は、おおむね冷たい雨や、場合によっては雪というものを持ってくる。その間

寒さに震えながら、身を縮めて低気圧が通り過ぎるのを待つ。これが通り過ぎると、なん

でか空がウソのように晴れて、下手すると気温が上昇する場合がある。


 身に感じるのは、「三寒四温」という言葉がぴったりくるように思う。2,3日寒さを我慢す

ると、その後にご褒美のように、温かい日がしばらく続く。現象としては、あたかも春の雨

が一雨ごとに春の気配を運んでくるようだ。そうして気付かないうちに春になっている。



 雨というのはおおむね面白くない現象だけれど、春雨に限り、場合によっては許しても

いいように思う。それは粉のように細かい雨脚で、ちっとも寒くなくて、かつ明るい雨の場

合は、面白くはないにしろ、許してやってもいい。降るのを許可する。


 あとの雨はほとんど許容できない。ことに五月雨。びしゃびしゃといつまでも降り続け

て、こころの中まで黴臭くなる。近頃はそれに加えて、梅雨の一気降り、という現象もあ

る。あろうことか、五月雨らしくもなく夏の雷雨のようにドカッと降るからたまらない。



 夏の夕立は、周りの気温を低下させる、そのことだけに意味がある。目もくらむような降

り方をしたあとは、案外さっぱりと矛を収め、なにごともなかったようにセミが再び騒ぎ出

す。このまま夕方に突入すれば、もしかして今夜は涼し気に寝ることができるかナ。


 しとしと降り続く秋雨もまた決して面白からず。だいたい降るんだか止むんだか一向に

はっきりしないところがもどかしい。冬の時雨とくればもう論外に厭わしい。冷たくて寒く

て、ヒトにとって、ちっともいいことはなさそうである。出来れば降るのを止してほしい。


 春夏秋冬、いい雨というのはないものだなあ。




2026/03/03

蔵座敷きょう華やいで雛飾り

 

                                (AIによる)

 ひな祭りの記憶はほとんどない。


 女の姉弟がいなかったわけではないが、どういうわけか雛飾りというのを見た記憶がな

い。端午の節句のほうは、鯉幟が勇壮な姿で青空を泳ぐのを、ある種畏敬の念をもって

眺めていたし、鯉幟の口から中に入ったりしてよく遊んだから、親しく思い出す。


 たぶん偏見だが、ひな祭りは言ってみれば「おままごと」ではないか。人形を人に見立て

て飾ったり、菱餅やあられを食べたり、ご座の上のおままごとのその優美な奴、のような気

がする。鯉のぼりの方は、第一に春真っ盛りの大空が舞台、巨大な鯉が悠々と泳ぐ。



  雛祭りはまた桃の節句ともいう、のだが日本中を見回してもドッコにも桃など咲いてい

ない。これでは不都合ではないかと、一月遅らせてお祝いするテもあるそうだ。まあ、四月

ころになれば桃も咲いている。ことに甲府盆地の桃の春霞は夢のように美しい。


 新暦、旧暦いろいろ齟齬を生じる。どだい永いながい間、旧暦で行われてきた様々な行

事、お祭りを、セ~ノで一気に新暦に移しても、旨く行かないのではないか。やはり伝統的

な行事やら習慣は、そのままゆるゆると旧暦で行うのがいいのではないかと思う。



 近ごろ、神社の石段やら、駅のコンコースやらにその地域の雛飾りをかき集めて、豪快

に飾り立てる、ということが流行っている。もうみんな、昔のような豪壮な家には住んでい

ない。狭い部屋に何段もの雛を飾ることは、もう無理なのだ、表に出すほかない。


 これは鯉幟も事情は同じ、家の周りに畑でもなければ、鯉のぼりなど上げようがない。

自ずから広場に出すしかない。雛も鯉も、表に出して大量に飾り、そして地域みんなでお

祝いする。どちらも子供の健やかな成長を願う行事だから、そうする方が似つかわしい。


 子供たちよ、これからも雛と鯉でお祀りするから、元気でね。




2026/03/02

曙の如月の空へ旅立ちぬ

 




 人が旅に出るは虫穴をいずるが如し、なんて言葉はない。


 でも何となく、両方とも春になるとソワソワしてくるのは共通しているらしい。人生の旅立

ちというのも、おおむね春に多いことと思うが、そういう大ごとでなく、まあ温かくなったか

らちょっくらその辺まで旅行へ行ってくっか、と言って出かける旅立ちのことである。


 今頃の季節に旅行すると、まだ雪がみっしりと残って冬真っ盛り! というところもあれ

ば、いやいやもう春でんねん、なんぼでも花を咲かせまっせ! というところもあって、特に

日本海側から太平洋側に抜けるようなコースだったら、日本は広い! と実感する。



 名所旧跡、風光明媚なところもいいかもしれないけれど、どうも直ぐに見厭きてしまう、

という傾向がある。どんなに美しい景色でも、10分も佇んでいれば十分な気がするし、い

かに有難いお寺や神社でも、ひととおり巡っていしまえば、もういいやとなってしまう。


 それよりも、歴史の痕跡が残っていたり、人々の生活が垣間見られる場所を、ゆるゆる

と、ぶらぶらと歩き回るのが、自分には好ましい。あまり有名ではないけれど、昔の宿場街

が残っているところのその建物や、伝統的保存建物などでいまだ生活している様子など

を、時間をかけてゆっくり見歩くことができれば、言うことなしだと思う。



 旅行先は、気を遣わずにのんびり旅行できれば、それこそどこでもいいのだけれども、

なんでか今までは、日本海側の印象が強く残っている。どうも太平洋側は、街はビルと工

場ばかりで、騒々しくなんだかガチャガチャとしている、というイメージが強い。


 それに比べ、日本海側は人口も少ないだろうし、街よりも山や里が圧倒的に周りの視界

を占めているように思われ、静かだし、落ち着いているし、風景が自己主張しないし、なん

だか人も皆どっしりと腰を落ち着けて生活しているように見える。そういう全体の感じが

(あくまでも感じだけれど)、自分には好ましいのだと思う。


 


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