2025/10/31

秋の宵仲よく家路犬と婆

 



 向こうのベンチにお婆さんが座っている。


 婆さんの隣に小さい犬が行儀よくちょこんと畏まっている。土手道が少し広くなった草原

にベンチが数個据えてあるが、他には誰もいない。秋の午後の陽ががっくりとうなだれ

て、今しも婆さんの後ろの丘陵に隠れようとしているが、薄い雲が広がり陽は見えない。


 婆さんが犬の頭を撫でたり何か話しかけたりしているようだが、ここまで声が届かない。

犬がなにか珍しいものを見るようにじっとこちらを見つめている。まるで同居している婆さ

ん以外の人間を始めたみたような、そんな顔で見つめている。



 「ポチや、他人様をそんなにじろじろ見んじゃないよ」「うん、分かった、けど、あれは誰

だ、婆さんに似てないね」「あれは爺さんというものじゃ、初めて見るのかえ」「ほう、そうな

の、なんだか汚らしい格好だねえ」「これ! そんなこと言うもんじゃないよ」


 と、そんなことを言っているのかどうか。婆さんが話しかけると犬は短く相槌を打ったよ

うにうなずいている。しばらくそんな風に二人は話し込んでいたが、風が少し冷たく感じら

れるようになって、そろそろと立ち上がって、土手道を並んで歩き始めた。


 

 そうして道々またなにやかやと話し込んでいるらしい。その姿はまるで親子のようであ

り、晩ご飯を何にしようか、おかずはなにがおいしいか、テレビはなにをみようか、そんな

話を取り留めもなく、しかし仲良く話し合っているように見受けられる。


 団地の一部屋に帰って、部屋を暖めて晩御飯を作り、顎を投げ出していた犬と一緒にテ

ーブルに座って、二人とも幸せそうな顔をして食べている。外に誰もいないから、二人だ

けの会話が続いている。それから風呂に入って、二人一緒の布団に寝るのだろう。




2025/10/30

先がけて花水木の葉紅葉す

 



 花水木の葉が赤く染まってきた。


 ほかの木々がまだ真緑だというのに、そんなことは知ったこちゃなく唯我独尊、堂々と紅

葉して憚らない。エライもんである。桜は薄茶色になって散ってゆくが、この葉っぱは鮮や

かな赤色を陽に照らして、どうだ! とばかり威張っているんである。


 よくよく見れば、案に相違して、この紅葉はなかなかにきれいである。なんでもそうだ

が、よくよく見る、というのが大事である。ぼわっとただ目に映しているだけでなく、じっく

りとよ~く見る、これが大切なんだが、いつもちらっと見て、それで見た気になっている。



 それではモノを見たことにならない、見るという言ことは、観察することである。観察すれ

ば、いろいろなものの本質が見えてくるのだ、と他人に教えられるのだが、これができそう

で案外できないから、いつもチラ見はいかん、観察だ、言い聞かせねばならない。


 そのように考えると、今までこの永いながい年月、なあ~んにも見てこなかったような気

がする。なんだってかんだって、ちょっと見ただけで、ハイ、次行こう、という気持ちになっ

てしまい、次から次、目の端に引っ掛けただけで過ごしてきてしまった。

 


 例えば、起きている以上何かしらを眼にして見ている。そのすべてをジイ~っと見る、つ

まり観察する、というわけにはいかない。そんなことをすれば、安物の脳みそにたちまちヒ

ビが入って、大爆発を起こしてしまう。そういうことはまずできない。


 となれば、一点集中、なにかを選んでじっくりと見る、観察する、というテしかないと思う

が、この選ぶ、というのがまた難しい。なにが重要で、なにが重要でないのか、それが分か

らない。分からなければ選びようがないから、すべてはチラ見となってしまう。


 じつに困ったもんである。




2025/10/29

安曇野の田畑を渡る秋の声

 






 安曇野の真ん中あたりを昔歩いたがよく分からなかった。


 そこで、ひとつ高みから見下ろしたら、何ほどかを感知できるかと思ってやってみたんで

ある。車でぐいらぐいら、丘の上まで登って、展望台からやおら眼下を見下ろしたら、広々

と展開している田畑が、黄、茶、緑のパッチワークとなって、とても美しい。


 あの黄色は刈入前の黄金の稲穂、茶色は刈り取ったばかりの田んぼ、緑は菜っ葉など

の畑であるらしい。ぐるりと見渡してみれば、野っぱらは松本の街から緩やかに下ってだ

んだんと幅が広がって、野の真ん中を貫いて蛇行しているのは、あれは梓川だろうか。



 惜しむらくは、アルプスの峰々が霧のような雲に閉ざされて見えなかったこと。もしこれ

が晴ればれと晴れあがって、巨魁の山々が群青の空にどっしりと連なっているのが見えた

ら、とも思ってみたが、そうそう何もかにもが都合よくいくものではないだろう。


 そう思って、念願だった安曇野を空から眺められたことに大いに満足した。大きな景観

は山の上から見ないと、その雄大さ壮麗さは感知できない。わが想像力が至って貧しい

からだろうけれど、なるべくなら高みから俯瞰して、この目で見て感知したい。



 それにしても「安曇」という名は、古代の海人(あま)族の名前だと聞いたことがあるが、

それがどうして日本アルプスのふもとの野っぱらの地名になっているのだろう。海なんぞ

どこを見渡してもありはしないじゃないか、と前々から不可解であった。


 そこでお手軽、ノー天気にネットに聞いてみた。長野県のwebサイトによれば下記の如く

であって、ああ、そうなのかと素直に納得した。更に記されていたのは、安曇族の移住は

国に広がっており、厚海、渥美、青海、安土、などなどがその地名なのだそうだ。


昔、玄海(げんかい)[九州の北に位置する海]の海人族の一つであった安曇(あづみ)氏が大和朝廷の王朝の伸張と共にその勢威を拡大し、徐々に東日本へ移り住むようになり、やがて信濃の国にも定着することとなった。

 

 いやはや、勉強になるなあ!



2025/10/28

老いて今いのちなりけり温め酒

 



 酒はどちらかと言えば下戸の方だが・・・


 秋が深まってくると、どういうわけか燗酒が旨そうに思えてくる。これはひとえに、”白玉

の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり”という歌にまるっきり影響されて

いるためだろうと思うけれど、しかし温めた酒はもしかするとやっぱり旨い。


 チビッとだけしか飲めないくせに、大酒呑みの牧水を気取るとは、とんでもないことだろ

うけれど、日本酒というのは本来温めて呑むものであるらしい。世界中の酒は死ぬほどあ

れども、温めるのは外に紹興酒があるぐらいで、大部分は常温又は冷やして飲むらしい。



 昔に比べれば、世界中のあらゆる酒が手に入るようになってきた。スコッチ、ウオッカ、ワ

イン、ブランデー、ジン、白酒、紹興酒、ラム・・・もう見境なしであるから、日本人はよっぽ

どの呑み助だと思われても仕方ないが、実は西洋人に比べればあまり強くない。


 昔若かりし頃、ウィスキーはアタピンの安物、ワインなんてベタベタ甘いまがい物、そん

な程度だったが、外国モノを引っ張り込んで、それをああしてこうするうちに、たちまち国

産の素晴らしいものができ上ってしまった。これぞ日本人が得意の換骨奪胎なるや。



 酒を呑めば多かれ少なかれ、まずは酔う。その酔いかたは人によって実に様々で、百人

いれば百通りの酔い方があるようである。しかし酒に強い人がいくら飲んでも酔わない、

というのは、実は可哀想でもある。ちょっぴりでテもなく酔っぱらうぐらでちょうどいい。


 酔ってくると、だんだん意識が朦朧として、来しかたに積み重なった失敗、悔悟がわらわ

らと浮かんできたりする。それは屁にもならないから、大急ぎで頭を振って、どこかへ放り

投げてしまう。そして、いささか惚けが進んだように酔うのが最上と思われる。


 それとも酔ったようにボケるのか?




2025/10/27

山里の沸き立つ日あり運動会

 




 運動会はどうしたわけか村人総出となる。


 都会ではどうか知らないが、山里ではお婆が手製の海苔巻きと稲荷寿司を、重箱にぎ

っしり詰め込んで、いそいそと校庭の隅に陣取る。それを遠巻きにして、お父っつぁんもお

っ母さんも所在なげにボウっと佇み、若え衆が一生懸命準備に余念がない。


 というような眺めが展開されたのだったが今はどうだろう。時移り、世が変わっても、海

苔巻きや稲荷がハンバーグやウインナーに変わった程度で、基本としてはほぼ同じ、とみ

てよさそうな気がする。山里では、運動会は子供だけではない村の重大な行事だ。



 わが子が元気で駆け回る姿は、だれが何と言おうと、見て嬉しい。生まれて、生き永らえ

るんだろうかと、頼りなかった子が、いまやエネルギーにあふれ、じっとしていられないほ

どの活力で飛び回っている。やれやれ、これで素直に真っ直ぐに育っていってほしい。


 そういう我が子の姿を、もう一度確認するのが運動会という機会。と同時に、子供たち

だけでは間が持たないから、お父っつぁんもおっ母さんも、腰に手を当てながらヨタヨタ、

よろよろ駆けっこや大玉ころがしに参加せねばならない。我が老いを再確認するのだ。



 時は秋、秋は午前、晴ればれと天は高く、透き通った青空から吹く風は清々しくやさし

い。今日のこの日は、村の寄合もお祭りもめっきり減ってしまったいま、なにをどうしてい

いか手をこまねいているのだが、テレビなど眺めてぼんやりしてはいられない。


 運動会という村の新しいお祭りを、全身全霊、身をもって祀り上げねばなるまい。鎮守

の神に代わって、我が子の成長をいや増して寿ぐ日であらねばならなるまい。それに加え

て、村人の年に一度の健康増進の日でもあってしかるべきではないか。


 この分だと明日も晴だ。




2025/10/25

茫々と砺波散居は秋の雨

 



 富山平野を走っているときはうっすらと晴れていたのに・・・


 そこから低い山を越えて砺波市へ入り、展望台を探しながら山道を登っていったら、な

んと言うことだ! 細かい霧雨が降ってきた。おかげで散居集落の展望は茫々と霧がか

かったように霞んでしまい、しばらく待ってもついに展望は開けなかった。


 何にしろ、広々とした野っ原は高いところから眺め下ろしたい。長野の安曇野も、高いと

ころから見下ろしたら狂喜するほどよかったので、砺波平野の散居集落も、なにがなんで

も、是でも非でも、だれが何と言っても高いところから眺めたかった、なのに・・・



 それでも、煙のように霞む砺波平野のほんの一部を、朧ながらも眺めることができ、そ

れはまあよかった。もう二度とここへ来ることはないだろうと思えば、極めて残念であり尚

且つ無念ではあるが、”北国日和は定めなき”だなあと思って諦めるしかなかった。


 そもそもなんでここに興味を抱いたかと言えば、今までにこういう景観を眼にしたことが

なかったからだ。今まで限りなく見てきた農村風景は、川沿いの狭い段丘か、平野であっ

ても真ん中に田畑があって、その周りの丘陵の裾野に民家が集まっている風景だった。



 こういう広い平野にぱらぱらと農家が散在するという光景は(ネット検索してみたら)案

外全国的に何カ所か存在するそうだ。砺波平野のこの景観できたのは、16、17世紀ご

ろ、近世に入ってからだそうだが、それにしてもひときわ際立っているように思える。


 それにしても、農家が一つ所にかたまっているのと、ぱらぱらに離れ隣の家に行くのがち

ょっと大変、というあり方は、そこに住む人たちの気質に何らかの違いがあるのだろうか、

ないのだろうか。ちなみにAIはどこから見つけたのか、こんなことを言っている。


散居集落(散村)で暮らす人々は、集落(集村)で暮らす人々と比較

して、一般的に自立心が強く、開放的で合理的な気質を持つといわ

れています。



2025/10/24

野は広く榛名の山に天高く




 八高線、児玉駅を出て野っぱらの方へ歩いてゆく。


 このあたりは関東平野の北西の端っこではあるが、広闊な畑がどお~んと広がってい

る。畑には様々な野菜が見え、その先に民家が林に埋もれるようにちらほらしている。地

面は平らで遮るものがなく、遥か北に榛名や赤城の山が群青の影となって聳えている。


 普段は息が詰まるような狭い、みみっちい、鼻がぶっつかるような住宅地に住んでいる

ので、こういう景色に出会うと、なにやら自分がどんどん膨らんで大きくなって、天下を取

ったように思えてくる。歩いていると胸が広がって、深々と深呼吸してみる。



 やがて神流川に突き当たり、渡る橋はいくつもないので地図をよく見ながら、その一つ

の橋を歩く。車がみんなこの橋に集まってくるのだが、渡り終えれば藤岡の家並に入る。こ

こで膨らんでいた気分がちょっと萎む。街中はなんといっても野っぱらほど面白くはない。


 黙々として、疲れて、街並みを抜けると、新幹線の長大な橋脚が高い天の下に飛び込ん

できた。大蛇のようにうねりながら遥かな先に続いている。これが東京からはるばる田ん

ぼを突っ切り、畑を貫いて延々と続いているのかと思うと頭が思考を停止した。



 高崎市の郊外に入って、平野はなお茫洋と広がっていたが、近くに博物館がありそこで

時間を大いに取られて、短い秋の日は既に陰り始めた。高崎駅までの距離を測ってみた

ら、まだ8㎞ぐらい残っている。さあ、大変だ、陽のあるうちにたどり着けるだろうか?


 もう冗談ではない、ヘラヘラしてはいられない。道を見失わないように小さな川に沿って

歩く、歩く、ひたすら歩く。陽がとっぷりと暮れて、足が痛い、疲れた、民家の灯りが寂し

い、そんなことにもう構ってはいられない。・・・高崎駅の明かりのなつかしさ。


 帰りの八高線は途中、鹿とがっぷり組み合って1時間動かず(泣き! )。




2025/10/23

ひとり待つ身にしむ風の無人駅

 



 秋の夕暮れの無人駅。


 ひとしお風が身に沁み入って、惻々として背中のあたりがなにやら寒い。これが嫌だか

らなるべく日のあるうちに駅に着きたいと思うが、場合によって陽が陰って、急速に薄闇

が木や森の間から沁みだしてくるころ、朽ちかけたホームにひとり佇むときがある。


 いくら待っても電車はくる気配さえない。遠くにぽつんと見える人家には、明かりさえ見

えない。周りに音はなく、ただときおり枝が風にさわさわと揺れるばかり。この世に誰もい

なくなって、独りぽつねんと取り残されたような寂しさが身を包み、こころを支配してくる。


 

 八高線などは軒並み無人駅となった。そして駅前にあった小さな食堂や雑貨店なども軒

並み無住となって堅く雨戸を閉ざすばかり、まるでゴーストタウンのように、ただ風がひゅ

~ひゅ~と吹き抜けている。いずれ遠からぬうちに土に紛れて消えてゆくのだろう。


 無人駅ならまだしも、線路ごと打っちゃられて消えてしまった鉄道が、ことに北海道には

多いようだ。道東のオホーツク海岸を延々と走っていた鉄路がごっそりと消えてしまい、

枯れ草がびょう~っと風に吹かれているだけになったらしい。



 人は鉄道に背を向けて顧みず、駅前は人が集まる場所ではなくなった。寂しい限りだと

思うけれど(乗り鉄ではないが・・・)、これもまた世の中の、どうとどめようもない変化であ

ってみれば、抵抗してみても糠に釘、止むを得なければ仕方がない。


 それはそれとして、無人駅の風に吹かれて感ずる寂寥は、”たそがれ族”特有のものだろ

うか? 世の中は絶えず変化して止まぬ、それについて行けぬ”たそがれ族”は、見通せぬ

未来に希望なく、過ぎて帰らぬ過去に、ながあ~いため息をつくのだろうか。



2025/10/22

振り仰ぐ野山の錦北の旅

 



 山肌全部が紅葉に燃えている。


 全山錦織り成す、という感じで思わず目を剥いてしまう。これが自然の山というものな

んだろうナア、いま住んでいる地域はとてもじゃないが、こんな按配にはならない。なにし

ろ杉や檜ばっかりで、鬱蒼と、黒々として秋を迎えているから、見るべきものはない。


 紅葉はやはり北国のものではないかと思う。ことに北海道ならば、赤や黄がことのほか

冴えて美しく、なおかつ雄大な景色が広がるらしい(なにしろ実際の景色を見たことがな

いのだから、悔しい! )。写真で見てさえ、なにしろ気宇壮大な気分になる。



 東北地方だってユメ侮るなかれ、その宏壮さにおいて北海道にちょっと及ばないかもし

れないが、なにしろ重なりあう山肌すべてが赤や黄や緑に覆われて、柔らかな穏やかな陽

ざしをきらきらと照り返す景観は、これはもう何とも言いようがないくらいだ。


 おい、おい、京都を忘れちゃいませんか? 忘れているわけではないけれど、あれはなん

というか、人の手で造り出された景観のように思う。それはそれで見事なのだろうが、や

はりなんと言っても、自然が作り出す眺めに勝るものはないようだ。



 北海道はもう初雪だとテレビが言っていた。とすると錦織り成す壮大な眺望も雪に枯れ

てしまうのだろうか? ほんとに紅葉の時期は短い。一週間もすればすべてが茶褐色に変

わってたちまち灰色の冬景色なってしまう。雪の景観もまたそれはそれだろうけれど・・・


 このところ、こっちも、うんと寒い。大慌てに慌てて冬の衣服を引っ張り出し、足温器さえ

持ってきて電源を入れた。このまま冬に突入だとすれば、なんとまあ、秋はあっという間だ

ったろうか。怖れているように、春と秋がぐっと縮んで、夏と冬ばっかりになっちまうのか。


 さあ、寒さに向けて一丁気合を入れるか。 


 

2025/10/21

眺めやる佐渡は秋天高くあり




 

 良寛の視線の先に佐渡がうっすら見えている。


 空は晴れあがって穏やかな陽ざしが降り注ぎ、日本海は青く穏やかで清々しい。とき

き波が寄せて崩れる優しい音が聞こえてくる。疾風怒濤の日本海はまだまだ先のようだ

が、裏山の木々の梢がほんのりと色付いてきている。厳しい冬が来るのだろう。


 良寛の背中がどこか寂しそうだが、向こうへ廻って顔を覗き込むと、目が吊り上がって

狐のような顔をしいている。優しい好々爺の面影は見えず、厳しい修行僧の風貌を見せ

ている。里の童と蹴鞠を突いて遊んだような、そんな顔つきではなかった。



 佐渡島は、ふたつの峰の間に僅かな平地があるだけで、ほぼ山ばかりという印象の島

である。その平地の狭い道を走ると、漆喰ではなく板壁の家々が並んでいて、その板壁

も厳しい潮風にたわめられ、剥がされたりしていた。寂しい風景が目に映った。


 宿の風呂場に畳みたいなものが敷かれてあったので、とても驚いた。その畳みたいなと

ろで体を洗うのだ。お湯は真っ黒けのケで、これもまたびっくりしたが、お湯そのもの

は、しっとりと優しく肌を包み込んで、まったりと入っていられる。



 狭い山道を辿って、むろん金山にも行ってみた。なにがしかを払って狭い坑道に入る。

暗くて狭くて寒い坑道のところどころにマネキンが置いてあり、電気仕掛けで腕を動かし

ている。なにやらオバさん風の女性もいて、崩したごろた岩を籠に入れている。


 むろんのこと誰もが和服の着物や半纏であって、こういう作業には大変な違和感があ

る。手にするものはせいぜい鏨と金槌、あるいはよくてツルハシであって、当然と言えば

当然だが、どれほどの厳しい労働だったかが、見しみてよく分かった。


 坑道を抜けてほっとして息を思い切り吸い込む。なんだか今まで息を止めていたような

気がする。振り返ってみると、山の頂が鉞で立ち割ったように割れている。掘って掘って掘

りまくり、遂に山まで割ってしまったのかと思った。凄いものを見たもんだ。




2025/10/20

美保の関静まり返って秋の暮れ

 



 

 美保神社へ行ってみたらなんとも静かなところだった。


 目をむくような大きな拝殿が、威風堂々、どっしりと建っているのだけれど、人がいな

い。「関の五本松」とか言って歌に唄われるほどだし、神社は堂々として立派だし、もう少

し観光客というものがいるものだと思ったが、オバさんがひとり参拝してるだけだった。


 今から思うと、なにしろ島根半島の端っこの端っこにあり、交通に難あり、とも思われる。

我らは米子半島から車でひょいっと水道を越えていったから、交通不便とは思わなかっ

た。が、神社までの道々、なんだか人が少ない土地だとは感じられた。



 恐れ入ったる面持ちで神社の参拝を終え、ふと見るとトンネルのような、細い道が境内

から続いていた。なんだかここへ入っていくと、そのまま異次元の時空に行っちまうような

気がした。森閑として人ひとりの影さえ見当たらない。


 看板には「青石畳通り」とあって、なんでも雨に濡れると石畳が青く光るのだそうだ。時

期が秋のはじめ、雨は降りそうにもなかったのが、ちと残念だった。それよりもここに一

体人が住んでいるのだろうかと、いぶかるほど何の音もせず、やはり異次元だった。



 出雲への旅を終えて今、ふつふつと頭に浮かんでくる「うたかた」のような思いは、なに

しろ島根県全体が、まるで秋の暮れのように静かだったということ。出雲半島も森々とし

て日本海に浮かんでいるし、宍道湖だってレジャーボートがカッ飛んでなどいない。


 出雲大社も静寂な森を背にして静かだったし、松江の街中も音が消えていた。もっとも

尋ねたのが「神有月」でない、変哲もない時だったせいもあるかもしれないが、この静かさ

がことのほか自分には好ましかった。土地の佇まいもまた、閑寂の気を醸し出していた。


 無理して行って来てほんとによかった。




2025/10/18

ゆかしさや陽に照り映える式部の実

 



 ムラサキシキブの実はきれいだと思う。


 花もきれいらしいけれど、なにしろ小さい、それだからあまり目立たない。それゆえに、し

げしげと見たことがない、が、10月ともなれば、きれいな紫色に染まった実が、オラオラ、と

葉っぱの表に顔を出し、大いなる自己主張を展開してくる。


 この木(落葉低木であるらしい)は、山道などではあまり見かけないが、家の近く、民家

のあるところでしばしば見かける。見かければどうしたって、まあ一枚、とそそくさと撮影し

にかかる。もう何回も写したんだから、よせばいいのにと思いながら、また映す。



 なんと言っても紫の色合いが深沈と沈んでいるようで、それでいて陽ざしに浮き上がっ

てくるようで、まあなんとも言えない色だ。見ようによっては、小さな小さな宝石のようで

あり、アメシストの輝きさえ感じられるほど。(アメジストを実際に見たことないけど・・・)


 紫色は、仄聞するところ、古代のやんごとなき御方に限ったものだという。だからエライ

と思うのではなく、色そのものがきれいなのだ。名前がまた、ムラサキシキブなんていう古

代王朝の女性の名と同じだから、イヤ増してやんごとなさを醸し出しているかも。



 これに限った話ではないが、自然が作った形や色合いは、どう人間が頑張ってみても追

っつかない。だからこそ、花を愛で、宝石に憧れるのだろうけれど、月にロケットは飛ばせ

ても、自然が創ったものを何一つ創れないのだから、あんまり威張れたものじゃない。


 それだから、まあなるべく謙虚にしていたいと思う。しかしあんまり謙虚正直イッテバリ

だと、金儲けサギの餌食されないとも限らない。謙虚であってしかも油断なく。これはこれ

でなかなか難しい難儀な業だ。この世に生きてい行くのは、これで案外難しい。




2025/10/17

離村するひと見送るや秋の風

 



  

 限界集落なるものはどんどん増えているのだろうか。


 実態をよく知らないが、たぶん増えているのではないかと思う。これに関しては30年ほ

ど前の、「花のあとさき」というNHKドキュメンタリーが深く印象に残っている。秩父の山

間地にすむ老夫婦が、もう畑も出来なくなって、そこへ花の木を植えてゆく話だった。


 が、その集落はなにしろ不便、住民が一人去り二人去って、遂には誰もいなくなってしま

うという、まるで限界集落が崩れてゆくその過程を見せてくれた。それで、限界集落とい

う、単なる言葉だけではなく、その現実を目の当たりに見たような気がした。



 しかし、と余所から、それもテレビを通して見ていた、アホンダラはこう思った。医者もね

え、スーパーもねえ、そんな不便な土地に頑固に住み続けなくてもいいじゃないか、さっさ

と街場に降りていって、そこで安楽にゆっくり暮らせばいいんでないかい、と。


 今思えば、しかしこれはやっぱりよそ者の勝手な考えであったと思う。そこにあくまでも

住み続けたいという、そういう、人の心情を一個だに考慮せざる、アホな考えであった。長

年暮らし、苦労を重ねてきたその土地がどれほど大切なものか、汲みとれなかった。



 ところで、日本はどんどこ人口が減っているらしい。これはもう、ちょっとやさっとではど

うにも止めようがないらしい。そいうすると限界集落なるものもどんどこ増えていくのだろ

うと思う。これもやっぱり、ちょっとやさっとではどうにもならないに違いない。


 で、翻って、人口が減る、それのどこがイカンというのだろうか。アホンダラはそこがよく

呑み込めない。人口が減れば、今まで死ぬほどだった住宅難も解消、大学だってゆるゆる

入学、通勤地獄解消、ひとり当たりの土地が広くなって、ゆったりできて、いいことづくめ。


 山間部が限界集落となって、そして消えてゆく、そこに長年住んできた人たちの思いは

それとして理解しようと思うけれど、人口減少に伴う致し方ない状況であれば、それはそ

れで仕方がないと思う。また、人口減少そのものだって、悪いことばかりではなさそうな。


 行く川の流れは、万物流転!




2025/10/16

晴天の赤城を仰ぎ稲を刈る




 秋の空が清々しく晴れて稲刈。


 いくらコンバインで刈り取ってしまうとは言っても、やはり収穫の喜びはひとしおではな

かろうかと御推察申し上げる。五月に苗を植え、無事に育てよと我が子のように思い、梅

雨時の大雨を心配し、夏の日照りにおろおろし、9月の台風を恐れ、やっと収穫。


 やれやれと、どれだけ安堵するか、お百姓でないのでその機微はうかがい知れずと言え

ど、まあ稲刈りは特別なものであろうと思う。言ってみれば、一年の計は田植えにあり、一

年の収めは稲刈りにあり、というようなものではないかと推察する。



 子供のころ、友達の家の田植えの手伝い(専ら邪魔をし)に行ったことがある程度で、そ

の後の苦労と心配は、むろんのこと心の片隅にもとどめることはなかった。そうして稲刈り

の時期ともなれば、ひたすら野っぱらをすっ飛んで歩き、栗なんぞを拾って遊んでいた。


 だから作物を育てることの、ほんとうの苦労やら心遣いやら心配など、なにも知らずにノ

ホホンといつの間にやら大きくなってしまった。今にして思えば、仕事はなんでも苦労がつ

きものなのだから、稲を育てて米にすることが、なにほどの苦労かと思う。



 作物を育て収穫するのは、なんと言っても自然が相手のこと、そしてその自然は決して

こっちの思う通りにはならないこと、場合によっては手の施しようもなく、ただおろおろ見

守るしかない仕事であってみれば、工場で品物を作るのとはわけが違う。


 その苦労と心情を慮りもせず、ごく当たり前の顔をしてコメを買って食ってきた。ここへ

て、米高騰のあおりを喰らって、遅まきながらそういうことも頭に浮かぶようになった

が、しかし、である。お百姓さんの苦労を思いながら、コメは備蓄米と決めている。


 


2025/10/15

ひっそりと季節移って薄もみじ



 


 なんだか今年はいきなり寒くなった。


 この調子だと来月は早々冬の到来かなア。恐ろしいほど暑い夏がいつまでも居座った

から、天高く空すがしき、晴ればれの秋の日がほとんどなかったように思う。夏にぐいぐい

押し込められ、しかしすぐ先には頑として冬が控えている、そんな気がする。


 この分だと日本という国はだんだん二期の国になっちまうんだろうか。恐ろしき夏と頑固

な冬が幅を利かせ、その合間に春と秋がほんのちょっぴりになっちまうのだろうか。それは

困る、大いに困惑する、なんて言ったって日本は四季の国だったはずではないか



 古来より連綿として四季があったればこそ、繊細な情緒が育まれ、それが文化となって

定着してきたのではなかったのか? 四季の訪れを迎え送りつつ、自然に寄り添いながら

それを愛で、あるいは恐れ、そうしてこころを育んできたのだはなかったのか。


 それがいきなり、「ハイ これからはもう四季はなく、二期だからね」と言われたって、どう

しようもないではないか。一番いい季節の春と秋が、ほんのちょっぴりだけ、となれば、春

の喜びも、秋のもの哀しさも、どこかへすっ飛んでいってしまうではないか。



 まあ、そんな極端にはならんと思うけれど、それは謂われなき杞憂に過ぎないのだろう

けれど、更にそんなことを考えてもまるっきり無駄というものだろうけれど、どうも暇だとそ

んなこともプカリプカリと頭に浮かぶうたかたとなってしまう。困ったもんだ。


 そんなことよりも、空高き秋が短いならば、その短い日々をどう送るかが肝心だ。たまた

ま晴れて気持ちの良い日があれば、スワっと言って遊びに出かける。なにしろ遊ぶことが

人間にとっては極めて重要だ。せっかく晴れて空が青いではないか。


 一緒に遊べば平和になる。




2025/10/14

池の端の万葉歌碑に木の実落ち

 



 「多摩のよこやま」の道を「歩くかい」の人たちとハイキングしてきた。


 この道は多摩ニュータウンの背後を東西に貫く尾根道で、川崎市と町田市とに接して約

10㎞に及ぶ遊歩道。古代より東国と西国とを結ぶ交通路が、この尾根道を乗り越えて遥

かに繋がっていたという。古代東海道、奥州廃道、鎌倉街道などの痕跡が残っている。


 その道の東側半分ほどを、まあ、そんな歴史をわずかに感じながら、初秋の爽やかな空

のもと、老人隊が元気で歩くハイキングのようなもの、なんと言っても標高わずかに

150mほどの極ごく低い尾根道だから、老老男女にとっても別にドってことはない。



 と言っても、まずは尾根道まで登らねばならない。集合の駅前から街中を抜けすぐに登

りとなる。なんとか登って、そこは「展望広場」、眼下の樹木の先にニュータウンの高いビル

が覗いている。ほとんどの樹木の葉っぱはまだ緑だけれど、わずかに色が変わっている。


 砂利の尾根道を歩く。靴の下でどんぐりがパキパキと砕ける音がする。初秋の柔らかな

陽ざしが背中に心地よい。尾根の脇の窪地は「桜の広場」、エドヒガンの大木がある。桜

の葉は他に先がけて茂り、散ってゆく。はらはらと風もないのに舞い落ちてくる。


 緩やかな上り下りを繰り返し、「防人見返りの峠」と名付けられた展望所に着く。ニュー

タウンの住宅が広々と目の下に広がっている。樹木の陰に戸建住宅、低層団地、高層の

ビルが見えている。そのはるか先は、秩父の山々だろうか、雲に霞んでいる。



 そこから「分倍河原合戦の野営地」なる林の道を抜け、「古道五差路」という古街道の集

中地を通り、現鎌倉街道が通る長いながい谷を打ち眺めて、ようやく一本杉公園へ到着

した。ここでお昼の大休憩、古民家の縁側に並んで、本日の最大の楽しみを味わう。


 古民家の下に小さな池があり、カモが数羽遊んでいる。池の端にごつごつした自然石の

万葉歌碑、「赤駒を野山に放(はが)し捕りかにて 多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ」と

刻んである。防人の妻のうただという。してみると、防人もこの道を歩いたらしい。


 この後はニュータウンの街を通って多摩センター駅へと向かう。その歩く道は車のいな

い遊歩道となって、大変ありがたい。中央公園の旧家の屋敷に立ち寄り、小さな展示会場

を見、最後は「都立埋蔵文化財センター」の見学に終わった。


 多摩ニュータウンの開発で千点もの縄文遺跡が発掘されたという。




2025/10/08

 柿熟すふるさと冬の近からむ

 



 山里の柿の実が目に付くようになった。


 しかし柿の実は至って地味で謙虚な果物だ。南の国の果物のように、派手っぱしさがど

こにもないし、その味だって、甘いんだか酸っぱいんだか、どうもはっきりしない。さらにそ

の上、鼻っ柱を誘惑するべき馨わしさなんてどこを探しても見つからない。


 どっちかと言えば、やはり南国のみっちりと甘い、爽やかに甘酸っぱい、蠱惑的な香り

芬々の果物に引き付けられてしまうのだが、イヤ、待てしばし! このほのかな甘さ、ほの

かな香り、これにどうも惹きつけられる、ということはないだろうか。”ほのか”、がいい。



 柿の学名は、Diospyros kaki だそうだ。学名に威風堂々、日本名の「カキ」がつけら

れている。これはもう日本人としては大いに威張っていいのではあるまいか。ひょっとして

柿は日本原産か? と思ったが、ネットによれば東アジア一帯が原産地であるらしい。


 ともあれ日本人にはいたって身近な果物なのだ。だからか、裸になった枝に柿の実がぽ

つりぽつりの眺めが心安らぐし、また秋が深まった頃、農家の大きな屋根庇に、干し柿が

連珠のように連なって柔らかな夕日に染まっている風景は、いたく郷愁を誘う。



 しかしながら日本の柿はたいていが渋柿であるのが残念だ。実が大きいのはほぼ渋柿

であるようだが、そこでご先祖様はさまざまに工夫を凝らし、どんな手段を使っても甘くし

てみせる、とばかりに、ああすればどうだ、こうすればどうかと励んだらしい。


 まず湯がく・・・少し渋が抜けるらしい。次は霧吹きで焼酎を吹かけ密閉する・・・ウソみた

いな甘柿に変身。皮をむいて天日に干す・・・甘さ上品実はとろとろ。などがあるようだ。な

んと言っても激変するのは干し柿、清雅で上品な甘さ、とろけるような実、ああ!


 峠こえ寺でもらった柿を食う




2025/10/07

刈入れて案山子も疲れ昼下がり



 


 案山子も近ごろ種類がいろいろだ。


 まるで人そっくりにマネキンを使ったもの、昔ながらの権兵衛スタイル、ワシやタカの猛

禽を模したもの、巨人の目玉みたいなもの、それぞれ工夫細工を極めて賑やかである。こ

れでもって雀が寄り付かなくなれば、この大昔からの戦いは人間の勝利だが・・・


 雀はいったい何にぶつ魂消るのだろう、人間の姿だろうか、それとも音だろうか、はたま

たピカリとする光だろうか。これをお百姓さんは、ああであろうか、こうであろうか、しんね

りむっつりと考えに考え抜き、どれ、一丁ためしてみるべえ、と工夫してきたらしい。



 江戸の昔は「鳴子」などと言う素朴一点張りの道具が使われたようだが、同時に権兵衛

スタイルも併せていたかもしれない。記憶をたどれば、ガキの頃は大砲みたいなものの空

砲をぶっ放して、里中を揺るがしていた。雀どころかこっちまでビックラこいた。


 その後は、きらきらと陽を反射するテープが登場した。これはいきなり驚かさないだけい

いし、反射光がなにやらきれいでもあった。続いて、使い古しのCDが光を反射した。いよ

いよ田んぼにもハイテクが浸透してきたのである。・・・いつの間にか全部消えたけれど。



 こうざっと見てくると、大昔からの人と雀の化かしあい、騙されあいの連綿たる歴史のよ

うである。しかしながら、今もって決定打が生まれないという、苦しい歴史でもありそう

だ。月へロケットを飛ばすことができても、雀の子一匹さえ容易に騙せないのである。


 人間の崇高なる英知をもってしても、生き物を思うように支配できない、ということは逆

から見れば生き物はみな、それぞれに利口だという事にならないか。生き物を皆わが支配

下に服せしめるのは、ひょっとするとできない相談ではないのか。人間よ、驕るなかれ!


 雀の子遊べや案山子の傍に来て。




2025/10/06

車窓埋め黄金の稲穂どこまでも

 



 この時期、車窓いっぱいに稲穂の黄金が波打っている。


 特に東北地方を列車で旅すれば、平野はむろん、盆地だってこの黄金の波が埋め尽く

している。西の方はよく知らないけれど、まあたぶん同じような案配ではないかと推測し

ている。ひょっとしてこれが本物の金属の金(ややこしい)だったら、と不埒を考える。


 本物の金でなくても、この波の輝きはことのほか美しい。なにしろ2千年この方、米を喰

らい、稲を慈しみ育てて今日に至っている国民なのだ。秋風に揺れる稲穂を見て、旨そう

だな、とは思わないまでも、ああ! これなら当分は飢死せずに済みそうだな、と思う。



 さて、もし我が愛する米が食えなくなったらどうする⁉ ・・・ここで視点を思い切って変

えてみる。目ん玉をグウ~ンと上空へ持ち上げ、丸い地球を上から見てみる。そうすると

米なんぞ喰っていない人々が、なんぼでも見えてくるであろう。


 小麦粉を食っている人が多いが、中には「主食はジャガ芋だったけん」という人もいる

し、「ウンニャ、やっぱりタロイモだっぺよ」、「イヤ、なんといってもトウモロコシでないかい」

という人も出てくる。そしてみんなピンピン元気、要するに何を食ってもいいのだ。



 狭苦しい列島のチマチマした慣習からスッと身をかわして、高い天のその上空から地球

を眺め直すことができれば、地球はまだまだ広々と広がっている。どこへ行ってナニを食

おうと、おいそれと死んじまうことはなさそうである。案心していいらしい。


 しかしながらこれは、言うは安し行うは難し、であって、やはりそれなりの、こころの「修

行」が必用なようである。毎日チマチマ、コセコセした思いに沈み込んだら、ちょっと待て、

と一声自分にかけて、天高くこころを持ち上げる修行である。


 出来るかなア。




2025/10/05

無人駅灯影さびしく秋の暮

 




 秩父往還をぶらぶらと歩いてきた。


 関東平野の西のどん詰まりから山塊の狭い谷に入ると、国道299が秩父に向かって曲

がりくねりしつつ通じている。その脇に細い道が切れ切れに残っていて、これは昔の秩父

往還ではないかと思いながら歩いた。その道筋にぽつりぽつりと山里が存在している。


 その山里の道に行く前に、下車駅の近くにある彼岸花群生地、巾着田に立ち寄ってちょ

うど盛りの、炎のように燃え立つ真っ赤かの花を見てきた。巾着田は高麗川が恐ろしい蛇

行をして巾着絞りのような形になり、その川っぷちが恐ろしいほど真っ赤かであった。



 それはともかく、山里を歩くのは無上に楽しい。他人は「あんな所をほっつき歩いてなあ

~にがいいんだか? 」と言うだろうが、自分でも何がいいのか分からんが、とにかくい

い。山を見ても、川の流れを見ても、野っぱらの花を見ても気持ちがいい。


 しかし、人影を見かけないなあ、巾着田には死ぬほど人がいたが、こっちには観光客は

むろん、里人の姿も影も見えない。たま~に、道っぱたに埋もれるようにして、婆ちゃんが

草むしりをしている程度で、こっちを見て「あれま、人だ! 」なんて驚かれる。



 空は青く高い。優しい陽が照っている。道っぱたに赤いコスモスがほんわりと揺れてい

る。萩が有るか無きかの風にゆらりとそよいでいる。紫式部の実がルビーのように煌めい

ている。澄んだ浅い流れに小魚群れている。それを一匹かました鷺がゲップをしている。


 高校生が帰ってゆく。ハイカーが駅への道を急ぐ。踏切の警報が鳴りやむと、里は森閑

と静まってゆく。昼下がりの陽が山の向こうに隠れて、畑がはや陰り始めた。その前の民

家も屋根だけに傾いた日が当たっている。・・・秋だなあ! 


 


  短い動画 (BGM・キャプション)



2025/10/03

山寺の棚にひっそりあけび揺れ

 





 今の子供たちは恐らくアケビを誰も知らない。


 遠い昔、山里の子供にとっては、これはもう紛れなき山のご馳走だった。実の中の白っ

ぽい種の部分が、ねっとりとした和菓子のようで、そしてかすかに甘いのだ。なにしろ甘い

木の実というのは、ほとんど無くて、山の中のガキンチョにとっては貴重であった。


 ただし、この白っぽい部分はそのほとんどが真っ黒な種であって、その周りに着いたほ

んの僅かな餡のようなものを啜り込んで、バフっと種を吐き出すと、口の中にあるかなき

か、なけなしの、幻のような甘さが残るんである。それが秋の山のご馳走なんである。



 こんなことをぐずぐず書き記していると、子供たちばかりか、今の大人だって一斉に声を

そろえて、「ええーッ、ウソ、ホントー?」と叫ばれてしまいそうだけれど、実はホントウのこ

となのだ。もっともこれはビンボー山猿であったが故なのかもしれけれど・・・


 そのころだって、むろん饅頭やお菓子はあったが、そんなものは祭りやなにかのハレの

ものであって、日常つねに腹を空かせているガキにとっては、そんなホンのときたまのもの

に期待をかけるわけにはいかないのだ。なんだってかんだって、あるものは口に入れる。



 長じてあるとき、山の寺に登ったら、境内の隅にあけび棚があって、たわわな実がぶら

ぶら揺れていた。たまたま近所のおばさんがいて、食ってもいいかと聞いたら、「なんぼで

も。誰も食べやしないから」ということで、あんぐりと食ってみた。


 そしてたちまち、上記の如き記憶が、ワラワラと脳みその薄暗い隅から立ち登ってきて、

一瞬にして遠い山里のガキンチョに戻ってしまった。しかし現実のアケビの味は、「トテモ、

食エタモンジャナイ! 」であった。故郷は遠きにありて思うもの・・・


 思えば遠くに来たもんだァ。




2025/10/01

十月や野道の夢を追いかける

 



 さあ十月、やっとこさ涼しくなった。


 こうなると、野っぱら道を無暗に歩きたくなって、どこそこのどのあたりの道がよかったと

か、あの道を何処までも行ったらどこへ行くんだべ、などと脳みその薄暗い片隅から、な

けなしの朧な記憶が浮かんでくる。でも、どこか歩いたことがない道を歩きたい。


 登り坂は親の仇、忌み嫌うこと蛇の如し。なにしろ坂道をほいほい歩ける体力がない、

根性もない、楽しくない。なんにもないから、やっぱり平らな道がいい。こうなるとなにやら

野っぱら道を探すのが大変である。道は無限に転がっているというのになあ。



 地図を見て野っぱら道を探す。まずは等高線を見て、山道だったら即座に脚下、ほぼほ

ぼ平ら、という道を探すが、それはおおむね平野にある。平野にはだいたい街がある。街

中は歩きたくない、うんざりする。こうなれば、おいそれと道は見つからない。


 どこだっていいじゃないか、行き当たりばったり、勝手気ままに行っちまえ! という手が

ないことはないが、それだと駅まで行って、はて、どっち方面の電車に乗ればよかっぺ

か⁇ と出鼻ッから躓き、スッ転んでしまう。それでは一日中駅の中で動けない。



 まあ、それはそれとして、また昔のように、どこか電車の線を一本選び、その沿線をぶら

ぶらしてみようかと思う。なにしろ線路は放射状に四通八達、一時間も乗れば都内のごち

ゃごちゃを抜け出て、空が高くなって、田舎道を歩けるはずだ。


 そこにはアッと驚く為五郎のような、花や紅葉の名所はもちろんないけれど、だれも歩い

ていない、清閑な、昔ながらの田んぼ道が、づう~っと先の方まで伸びているだろう。そこ

を、ぽつらぽつらと彷徨うように、あてどないように、歩ければそれでいい。


 我が帰し道もそんなもんだった。




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