2025/09/30

尾瀬夜明け燧を隠す霧深し

 



 尾瀬は大昔に行ったっきりだった。


 それからン十年、行きたしと思えど、人がワヤワヤごっちゃりを思えば、なかなかにハー

ドルは高く、もう半分諦めかけていた。のだけれど、年取ってふと「もう尾瀬は見れないの

か」と後ろ髪惹かれ「ならば、今ならなんとか・・・」と一大(?)決心をした。


 そうして、なるべく登り坂の少ないコースを選び、友人二人を騙くらかして誘い、なるべ

く人がごっちゃりでない秋、勇躍行くことに決めた。こッ早い朝、車をごろごろ転がして尾

瀬戸倉の駐車場に到着。なんだか知らないけれど、ここからバスが運んでくれるという。



 バスがぐんぐん登って(バスが昇るのは構わない)、車窓から紅葉を眺めて心躍り、労

せずして鳩待峠に着いてしまった。そこから階段道をどかんどかんと下ったら、そこはもう

れっきとした尾瀬ヶ原、楽ちんなもんだ、とやたら嬉しくなった。


 周りを見渡せばグループの中に、なんだ! 80代とも思える爺さん婆さんがいるではな

いか! いまどきの尾瀬はアンチエイジング、爺さん婆さん大歓迎らしいと知った。いやら

しい登りはバスでひょいっと、歩く道はどこまでも木道整備の親切さである。



 青い空の白い雲が池塘に映って、天下はどこまでも秋の爽やかさ。尾瀬ヶ原は平らだか

ら、特に不満なく歩く。見渡す先は赤茶色に輝く草紅葉、周りの山は紅葉真っ盛り、秋の

陽は寒からず暑からず、なんだかどこまでだって歩けそうである。


 そうして原っぱを終わり山道に入って、三条の滝の、ゴウゴウうなりを上げる水しぶきを

ぼんやり眺め、取って返して「見晴」の山小屋に入る。若いスタッフがきびきび働いて気分

がよかったが、それよりも、なんとまあ風呂に入れる。ギュウ詰めは仕方がないが。



 翌日早く目覚めて表に出てみると、目先も見えないほどの濃い霧、幻想的な眺めに誘わ

れてそこいらを散歩。白い霧の中でかすかに樹木が見え、遠くの山はてっぺんだけが朝

日に照らされて霧の上に浮かんでいる。忍び寄る冬の足音が聞こえそうな眺め。


 霧が晴れ山小屋を出て、きっちり真面目に整備された木道をトコトコ歩く。緩やかな上り

だけれど、木道はそれを感じさせない。道脇の紅葉が朝日にきらきらと輝いている。木道

が切れてごろた石の坂道をほんの少し登ったら、眼下に北方の森林風景が広がった。


 再び木道の整備された道となって、尾瀬沼の青い湖面を左に見ながらぐるっと半周、三

平下にぶつ座わって、宿の大きな握り飯を食いつつ、滑らかな湖面を眺め、目を上げて燧

の雄姿を仰ぐ。そこからちょこちょこっと登って、どかどか下り、大清水バス亭に着いた。


 遥かな尾瀬は遥かのままに。




2025/09/29

鮭のぼる三面川に星の夜



 

 三面川は新潟県村上市を流れている。


 村上市は越後の北のどん詰まり、山形県境に近い小さな城下町、市内の小高い丘をエ

ッチラオッチラ登っていくと、草むす城址がある。そこから眺め下ろせば、こじんまりした街

なみが広がっているが、高い建物はなく、低い家並みが連なっているばかり。


 一度訪問して、その静かで控えめな佇まいにすっかり魅せられた。市の北側に三面川が

流れそこに「イヨボヤ会館」という鮭の博物館がある。地下へ降りていくと、なんとまあ、三

面川の川波が、アクリル板の向こうに見えていて、季節になるとサケの遡上が見られる。



 街の中をぶらぶら散歩した。しもた屋が並ぶ角に「きっかわ」という店がある。入ると狭

い店先に鮭の製品がいろいろ並んでいたが、その奥の土間に一歩踏み込んで腰を抜か

すほど驚いた。巨大な鮭が無慮何百本というほどぶらさがっている。


 中には、鼻曲がりの巨大な口をクワっとあけ、もう光りを宿さない大きな目をまじまじ見

開いて、こっちを睨み据えている。そんな恨めしそうな顔を、ちょうどこっちの眼の高さにし

てずらずら並んでいる。一瞬タジタジとなってよろめき、恨むなよ、と呟いた。


 三面川に遡上してきた鮭を捕らえて、背から腹からたっぷりみっちり塩を擦り込んで、冬

の冷たい、しびれるような寒風に晒して、乾燥させるのだそうだ。それをさらに土間に逆さ

吊りしてカラカラにし、その切り身を酒びたしなどの製品に仕上げる、ということだった。



 せっかくここまで来たから、三面川に沿って走り登ってみた。すぐに山あいの道になっ

て、行き交う車は見当たらない。およそ20㎞も走ったところでダムに突き当たったが、そこ

に緑の芝生が美しい広場がある。奥三面の縄文遺跡公園だという。


 芝生の隅にストーンサークルのレプリカが、秋の柔らかな日差しの中に鎮まっている。博

物館のような建物に入って土器などを眺め、遠い昔、ここで生活していた人のことを思っ

たりして過ごした。太古のとき、美しく星が輝く三面川を、鮭がここまでのぼっただろうか。




2025/09/27

冷かに池のほとりに秋桜



 

 八高線の沿線を歩いているときにそれを見た。


 公園の一角に、冷たそうな水が溜池のように淀んでいて、岸辺になんとまあ、桜が咲い

ていた。よく見かける縮かんだような、なんだか哀れなような、十月桜ではなく、花びらが

大きくて八重になっているのもあり、更に赤いのもあった。


 今思うとこれは、うっかりと咲きだしてしまったサトザクラじゃあんめえか、と疑っていた。

しかし念のため検索してみたら、一般に「十月桜」と言われる品種だそうだ。うっかり、「十

月桜」とは染井吉野の狂い咲き、とばかり思っていたが、やはり調べてみるもんだなあ。



 これを見たのは、まだ9月だったように思う。陽ざしは穏やか、吹く風は爽やかで涼しく、

桜が咲いているけれど、どこか秋の冷かさが胸いっぱいに感じられ、春のムン! とする

暖気はどこにもない。なのに紛れもなく桜が咲いていて、妙な気がした。


 だいたい桜が秋に咲くというのは、怪しからぬことである。桜というものはやはり、人々

が待ちにまって、開花情報なども出て、今かいまかという状況において咲くべきである。そ

れが桜など思いもよらぬ秋に、ひょいっと咲かれた日にゃあ、困ってしまう。



 しかしここの公園はあっけらかんとなにもなくて、居心地がよかった。あまりにも作り過

ぎた公園は、ごちゃごちゃ目移りがして困る。歩いていて偶然に出くわした公園だが、木が

植えてありその下に小道が曲がりくねり、そうして端っこにこの池があった。


 池の端の日陰で随分長い時間ぼうお~っと過ごした。なにしろ気分がいい、離れ難い。

歩くときはどうしても事前にコースを決めてしまうが、本来なら何も決めずに行き当たりば

ったりが一番いい筈だ、がしかし、何分にも蚤の心臓、それができない。


 脚の向くまま、は実は難しい。




2025/09/26

宍道湖の水澄んで空うろこ雲

 




 宍道湖はシンと静まっている。


 水の上に、アサリ漁だろうか、小舟が何槽か見えて揺蕩うともなく浮かんでいる。なに

もかも静かに佇んでいて、まるで太古の湖の太古の魚取りを思わせるような、一幅の絵

が車窓の向こうに展開している。ここでは音がどこかにそっと隠れている。


 松江はそもそも静かな街なんだそうだ。松江大橋を渡ってゆく下駄の音が、対岸でも聞

こえる、というような誇張もあるが、それぐらい騒音がないということだろう。車はもちろん

走っているけれど、あのいやらしいタイヤの軋みや走行音が不思議に聞こえない。



 昨晩は松江駅の近くに泊まったが、夜8時を過ぎると大通りでさえ森閑と静まって、なに

やら寂しいような気分になった。せっかくだから街に繰り出して出雲蕎麦を試し、せっかく

ついでに日本酒ももちろん飲んだ。蕎麦屋さんの店内もしっとり落ち着いている。


 いささか勢いがつき二軒目に入ると、ここもまた静かな居酒屋であった。トウキョウのよ

うに、狭い空間に詰め込むだけ人を御詰め込んで、という事がないから、わあわあ、がや

がやの人の声は聞こえない。ただ静かなときがゆったりと流れるているだけだ。



 宍道湖の北岸、つまり島根半島の南麓を出雲に向かっている。ときどき車窓の草の向こ

うに一畑電鉄の線路が見え隠れしているけれど、まず電車そのものはの姿を現さない。

道路は緩やかにカーブを描いているが、民家や集落もまず見当たらない。


 出雲はなにしろ、神様がおわします處、やたらに騒ぎ立ててはいけないようだ。森閑と静

まった中で、古代からの神々がゆったりと閑にお過ごしになるのだろう。松江といい出雲

といい、そういう神々が鎮まるところにちょうどいい、という感じがする。


 出雲は遠くそして懐かし。




2025/09/25

あぜ道を貫いて燃え彼岸花

 



 彼岸花はただひたすら真っ赤に咲く。


 葉っぱもなく、いきなり茎が立って天辺に真っ赤かだけの、なにやらワチャワチャした花

を咲かせるが、よくよく見れば、造花の妙、エラク複雑な形を呈している。どれが花びら

で、どれが蕊なのか、トンと見当がつかないが、でもまあ、花は花だ。


 この花は別名、曼殊沙華ともいう。なんのこっちゃ、と思ったので検索してみるとサンス

クリット語の manjusaka の音写だそうである。その大元は法華経というが、この花を地

方ではシビトバナともいうのは、その辺りからの、そんな関係なのかもしれない。



 西武池袋線がいよいよ秩父山塊に入るという裾野に、「高麗」という駅があり、近くに巾

着田がある。これは高麗川がぐるりと円を描いて蛇行している奇怪な地形だが、その円

の中が田んぼだったのであり、ここにものすごい数の彼岸花が咲いている。


 林の半日陰に、まるで真っ赤かっかの絨毯を広げたように、びっしりと隙間なく、彼岸花

が埋め尽くしていて、その季節になるとトウキョウあたりからもわらわら人が押し寄せる。

そしてその時だけ、入園料をぶったくるのである。まあ、秋の風は爽やかだし・・・



 「高麗」という名前からもひょっとして想像できるが、この辺りは昔の武蔵国高麗郡であ

った。奈良時代、半島から来た高句麗人が集められた、という歴史がある。それまでは、

高句麗の渡来人(難民)は付近に散在していたが、この地に集住させられたらしい。


 この時の渡来人代表者、高麗王若光は、高麗神社に祀られ、その墓と言われるものが、

近くの聖天院に今も残っている。なにゆえこういう措置をしたのかトンと分からないけれ

ど、日本人はこのころから、ガイジンを利用すれども胡散くさがる、だったのかナ。


 彼岸花は素知らぬ顔で風に揺れている。




2025/09/24

ふと気づき香りに寄るや葛の花

 



 嫌われモノの葛だが、花はまた別。


 大繁茂の葉裏にひっそりと隠れるように咲いている。花の色は鬼の葛に似合わしからぬ

可憐な紫色で、野の花に似つかわしく思える。試みにその花をクンカクンカ匂ってみると、

ほんのかすかだけれど、実に清々しい香りが周りに漂っている。


 その香りは秋の澄明な水のように幽かに漂っていて、沈丁花や木犀のように「どうだ、い

い香りだろう、嗅ぐべし! 」というような押しつけがない。人知れず咲いた花から、人知れ

ず香っているので、ややもすると花も香りも、気付かぬまま通り過ぎてしまう。



 香りがある花、無い花、いろいろあるけれど、あの香りは鳥や虫を引き付けるためのも

のだろうか。どうも遅くに出現したヒトのためではよもやあるはずがないと思える。なにし

ろ鳥や虫は、いや動物すべて、匂いで食えるものか食えないものか、判断している。


 とすると、動物どもは匂いに命を預けている、と、こういうことになるのだろう。だからみ

な(動物は)、匂いに極めて敏感で、猫なんぞは食えそうもないと分かれば、プイっと横

向いてしまう。あれは食わず嫌いなのではなく、食ったら死ぬ、と思ってのことだろう。



 それに比べ、われらホモサピエンスは匂いに鈍感にできている。食えるものかそうでな

いものか嗅ぎ分ける、という動物としての基本のキをすっかり無くしてしまったらしい。だ

から、なんでもかんでもひとまずは食ってみる、という作戦に出たようだ。


 かくして・・・茸を無暗に食って七転八倒し、フグをやたらに食らってあえなくなったりして

手痛い勉強を重ねてきた。その結果、ますます匂いに鈍感となり、その代わり、クサヤを発

明し、鮒ずしを作り出し、しょっつるを発見した。どっちがいいかなあ!


 セイジ家の嘘っぱちを嗅ぎ分けられたら。


 


2025/09/23

山里の空澄んできて秋彼岸



 


 季節とは正直なものである。


 暑さ寒さも彼岸まで、と言い古されてきたけれど、ほんとに涼しい爽やかな風が吹くよう

になり、朝などはちょっと寒いぐらいなので、短パン半袖を止め、早々と長袖、長ズボンで

散歩に出ることになった。さしもの酷暑もようやく諦める気になったかな?


 例年であれば、日中の気温はまだまだ残暑なのかもしれないが、今年はもう秋だなあ、

と肌が感じている。こうもぴたりと季節(感覚的気温)が変わるのであれば、いままで散々

夏の悪口を愚痴ってきたけれど、もうそれを止しにしないといけないかもしれない。



 なにはともあれ、これからは炎天に恐れをなさずに済む。今までは「年寄りは表を歩くん

じゃねえ、死ぬぞ、オラ! 」などと散々ぱら脅かされ、虐げられてきたが、これからは威風

堂々胸を張って表を歩けるのじゃないかと、大いに期待している。


 もしその気になれば、大手を振って、驚くほどデカい顔をして、野っぱらに出掛けること

ができるのだ。これはまずもって嬉しい。彼岸花で真っ赤に染まった土手の道、優しい陽

を受けて黄金色に輝き波打つ田んぼの連なりの中を、だれに遠慮もなく歩けるのだ。



 いっぽうで、少しづつ陽が短くなるのは寂しい。お昼が過ぎれば、お天道様はガックシと

首うなだれ、弱々しく西の空へ転がり落ちてゆく。それはもう、ウソのように極端であって、

午前中のあの輝き渡る溌剌さと元気とは、いったいどこへ行っちまうのだろう。


 木の葉がはらはらと舞い落ち、裸木の赤く色づいた柿の実が儚い西日を受け、山の端

が陰ってくると、そこはかとない寂しさに背中を乗っ取られて、あとどれだけ歩けるだろう

かと、たちまちチキンの心情になっちまうから情けない。陽よ短くなるな!


 巡り来て去る季節を、淡々と送れ。




2025/09/22

猛暑去り新河岸川に萩の雨

 



 先日、新河岸川の岸辺を団体で歩いた。


 新河岸川は江戸時代の物流の動脈だった。埼玉の川越と江戸浅草を結んで、江戸から

は日用品や古着、金肥、川越からは穀物やさつま芋、木材などを船に乗せて運んだと

いう。そういう古い川筋なので、近くには昔ながらの建物や富士塚などが残っている。


 まあそういうものを見たり、復元された「引又河岸」を眺めたりして、急に涼しくなった空

の下を楽しんできた。夕方になってときおり小雨がぱらついたりしたが、ほぼ曇りであっ

て、ああ! 秋がようやく来たなあ、と実感した一日だった。



 今印象に残っているのは、野火止用水が新河岸川を乗り越えるという仕掛の、ジオ

ラマと、復原模型である。道路の端にジオラマを納めたガラスケースがあり、その上に木

製の復元模型が置いてあった。川を乗り越える仕掛けは実に巧妙で感心した。


 その仕掛は、土手の上まで引いた野火止用水を下流の木製の背の高い枡まで流す、そ

して枡の中の水位が天井まで来ると、そこから更に下流へ流す、というふうに順次枡を使

って、枡の上端まで水を溜めれば、おおむね水位を維持したまま流せる、という仕掛だ。




 もう一つ印象に残っているものがある。それは「白子貝塚公園」の縄文海進の地図と貝

塚の剥ぎ取り展示。海進の地図は公園の隅の大きなタイルに描いてあった。この時海は

関東平野のずいぶん奥まで(茨城の古河辺まで)入江だったんだなあ、と知った。


 また、実は貝塚は発掘されたまま野外で野ざらしになっているものとばかり思っていた。

それがきちんと土まで付けて剥ぎ取り、無数の貝殻が層を成して堆積している状況を展

示している。わが想像力は極めて原始的でアホであったか、よくよく分かった。


 ともあれ、新河岸川に秋が忍び寄って萩が雨に濡れている。



 短い動画  (BGM、キャプション) 

www.youtube.com

 



2025/09/19

露草にふと振り返る散歩道




 ツユクサは鮮やかな青い色が人の目を引く。


 そしてよくよく見てみれば、なにやら複雑な花の造り、ちょっと感心してしまう。まずは青

い色の花びらみたいなのが二枚ある。普通花びらは5枚とか6枚とかのものだが、これに

はたった二枚しかない。変てこりんだなあと思う。


 さらに目を凝らせば、その花びらの下が奇妙に複雑なことになっている。黄色い短い蕊

のようなものが複数あり、その下に雌しべみたいなのがびょ~んと長く伸びている。これら

の変わった構造は素人にはよく分からないけれど、やっぱり変てこりんである。



 散歩道でこの花を見かけると、ついつい目が惹きつけられてしまう。やはり青色の鮮や

かさが、緑の草陰の中で目立つ。土手道の端っこなどに生えている。この散歩道を、ほぼ

決まった時間に決まったように歩いている。だから退屈かと言えばそうでもない。


 散歩道にはいろんな人がいて、走ったり歩いたり、自転車で通り抜けたり、さまざまだ

が、そのいろんな人を観察するのもまた楽しい。走っている人とすれ違う時は、敬意を表

して道を譲る。歩いている人には譲らない。こっちは右側を歩いているから大威張りだ。



 腰が曲がったお婆さんが、道っぱたの草を手折ってビニール袋に入れて歩いている。若

い女性が軽やかに、ほいさっさと追い越してい行くのを見ると、心底羨ましい。小さいおば

さんが、道にはみ出た葛のツルを、ひょいひょいと根元の方へ戻してゆくのを見た。


 なんで散歩などしているかと言えば、近ごろとみに筋肉が落ちてきて、余にもみすぼらし

く、かつまたちょっと歩いただけで足がくたびれるようになった、これではいかん、と何とか

筋肉を付けたくて、それでまあ、試みに歩いてみようと思ったのだ。付くかな、筋肉!


 寄る歳にせめても抗ってみる。




2025/09/18

秋の潮浪や寂しき丹後浜

 



 丹後は天橋立に立ち寄る。


 この景色を、どこぞかの山に登って股ぐらから眺めるか、あるいはこの砂州をてくてく歩いて、向こうの浜まで行ってみるか、ちょっと迷ったけれど、どちらも脚下、砂州の始まりのところの砂をわずかに踏んでみただけになった。


 その辺りに文殊堂という、意外と大きなお寺があったのでちょっと立ち寄り、それから波打ち際に出てみた。浪が次から次へと打ち寄せ、それが崩れて白い泡を吐き出すさまは、見ていて飽きなかった。秋の浪はしかしどこか寂し気だ。



 沖あいは深い藍色となって、その上に丹後半島がのびのびと連なっている。これからゆく伊根はどのあたりだろうか、大変楽しみでもあり、こころ急かれる思いもする。なにしろ夕方が近い、伊根までどれほどかかるか、見当がつかない。


 日本の三大風景とか言われる天橋立は、股ぐら覗きもなんか子供じみているし、この砂州を向こうまで歩いてみるのも何だかなあ、という気がする。そうであれば、もうどこを見学すればいいのやら、途方に暮れてしまう。



 遥か遠く出雲へ向かう道すがら、金沢からこっちは特に未踏の地である。どこを走っても、どこに立寄っても、どこもまた嬉しい。特に侘し気な海岸縁の道などは、背中がぞくぞくするほど引込まれる。北陸山陰はおおむねそのようだ。


 華々しくそして賑やかで、なにもかもごちゃ混ぜの太平洋岸に比べれば、静謐で落ち着いて、そして優し気な海や山や街が続いている。おそらく人もまたそうなのであろう、願わくば、これからもそのまま続いてほしいと願うばかりだ。


 秋の海日本海は波静か。



2025/09/17

ほうずきや赤らんでやっとそれが見え

 



 ホウズキは赤くならないと見つけられない。


 赤い実がぶらさがってやっと、お! こんなところにほうずきが、という按排で

ある。それまでの間、忍の一字で葉陰に隠れているのかもしれない。そうして実が

熟れてきて食べごろになったら、さあ、鳥たちよ食ってくれ、とばかりに自己主張

するのであろうか。鳥が気づくようになれば、人だって気が付く。


 御幼少のみぎり、この袋の中の赤く熟れた実をつまんで、女の子たちが楊枝で突

いて中の種を出し、それを口に含んで、ぶ~~と鳴らした。なんだかおもしろそう

なので、真似をしていろいろやってみたが、中の種を出し切るのに忍耐が要る、面

倒くせえ、と無暗に突つきまわすと、丸い実がすぐに破れた。



 女の子たちのように忍耐強くないので、あんまりおもしろくなくて、2,3回で

確か止めてしまった。女の子たちは盛んにぶ~、ぶ~ならしていたが、悪ガキども

はすぐに飽きて、チャンバラごっこだったり、鬼ごっこの方に移ってしまった。そ

れにしても、ほうずきがれっきとした遊び道具だったんだよなあ。


 なんという素朴さ、なんという工夫。もう一つ想い出せば、なんとただの道路が

遊び道具に変身した。路上に〇を描く、それが1個だけ向こうの方へ続いたり、と

きには2個横に並んだり、という具合に描いていく。〇1個は片足だけ、横並びの

〇2個では両足が着ける。それでケンケンパッ、という具合に飛び跳ねて遊ぶ。



 これなどはもう、遊び道具など何もいらないのである。ただの地面とせいぜい石

ころぐらいがあればいい。なにしろ市販の遊び道具などなかったし、あっても買っ

てもらえない。だから、ほうずきにしろ、ケンケンパッにしろ、だれか子供が工夫

して、子供へ、子供へと伝え繋ぎとめてきた遊びではないかと思う。


 むろん今の電子機器の遊びの方が、なんぼか洗練されかつ夢中になるに違いない

が、その辺になんぼでも転がっているモノを使って、遊び道具に仕立ててゆく、と

いうのも、もう夢中になれたものだ。なんしろその辺の棒きれがムラマサになるの

だし、木の股がパチンコになるし、錆びた空き缶が馬の蹄にもなった。


 物がない、というのは不幸ではないナ。




2025/09/16

雲去って三方五湖には秋の水

 



 本来の秋雨前線らしく天気がぐずぐずしていた。


 しかし三方五湖の山道を登るときには運良く晴れあがってくれて、ほんとにきれいな湖

を見ることができた。左前方の淡い水色は、あれは紛れなく日本海の波なのだが、それに

比べ、手前の湖の色は形容しがたい水の色を見せている。ここから五つの湖全部が見渡

せたわけではないが、この光景を見て十分満足した。


 三方五湖、それはとてもきれいな湖沼群なのだと聞いていた。それで前々から一度は見

みたいという望みがあって、ちょうどこのとき、遥か出雲まで、オヤジ3人車で行く途中

あった。山陰の9月はやはりはっきりしない天気が多いと言われたが、この時ばかりは

っきりとよく晴れ、眼下に広がる群青の水や、遥か日本海の浜辺がよく見えた。



 三方五湖を地上から見たのでは、湖の周りの草しか見えない筈だから、どうしても是が

非でどうあっても、どこか上から眺め下ろす必要がある。が、その山道に入る入口が分か

らない。カーナビでも見付けられないものはあるらしい。しょうことなしに店のおばさんを

煩わし、聞いたところとても親切に教えてくれた。


 あのおばさんは(と言ってもまだ40代ぐらいだったが)、いまどうしているだろう。今も元

気で店番をしているだろうか。おばさんの語り口はゆったりとして急がず、細かい点まで

忙しいかもしれないが、嫌がらずに教えてくれた。おばさんの話を聞きながら、われらのは

やる気持ちや焦りがす~~っと消えてゆき、すっかり落ち着きを取り戻した。



 どうも山陰の人はゆっくりと丁寧に話すようだ。太平洋側の弾けるような早口では、なん

だか喧嘩を売られているように感じるが、こっち側の人は別段焦りもしないし、めんどくさ

がる様子もない。この後砂丘で出会ったご夫婦も、ゆったりと落ち着いた話しぶりだった。

こっちの人たちは、どうやら、人生を急がないらしい。時間もゆるりと流れているようだ。


 三方五湖の山道を登って、駐車場がある場所から眺め下ろしたのだが、どうやらこのさ

らに上に展望広場なる「天空テラス」なるものがあるという。ただし、ひとりセンエンだとも

いう。我らはそのセンエンをケチった。若え娘っ子じゃあるまいし、テラスでお茶などしなく

ても別にいい。ここからのこの眺めだけで十分なのだった。


 出雲は遠く、思い出すことは多い。




2025/09/15

夕月や旅の宿まで付いて来い



 

 なんだか随分久しぶりに月を見た気がする。


 ここへきてやや凌ぎやすくなって、ふと空を仰いだら薄い夕焼雲の向こうに月が照って

いた。そうか、いたのか月が、どこかへ行ってしまったかと思っていたが、いたんだね、相

変わらずに、まあこれから秋だから、安生よろしく。と挨拶したけれど、毎日毎夜、猛暑

苦しめられ、月を見る余裕などなかった、ということか。


 どういうわけか知らないが、月の晩に歩いていたりすると、月がどこまでもどこまでも付

いてくる。どうも離れようとしない。ついついこっちも、月と同行二人という気になって、旅

の夕べを二人で歩いているような妄想が湧き、なんだか楽しくなる。まあ蚤の心臓の持ち

主だから、夜道に迷って宿を探す、なんてことはめったに無いのだけれど。



 それにしても昔の日本人は、月に対して随分思い入れが強かったようである。月の呼び

方がうんとある。三日月や満月ぐらいならわかるけれど、二日月、十三夜月、小望月、十

六夜月、立待月、居待月、寝待月・・・などと来た日にゃあ、なにがなんだかチンプンのカン

プン、ただ「ツキ」と言えば済むものを、なんでこんなに細かく分類するんだ?


 なにぶん平安貴族なんて人達は、不労所得者、いっかな働かずに悠悠閑々、優雅な暮

らしを楽しんだ。ゆえに死ぬほどは暇だったはずである。なあ~んもすることがないから、

まあ月でも眺めてのんびり暮らしていたのだろう。それゆえに、こんなにたくさん月の呼び

名があるに違いない。それを便々と受け継ぎ守ってきたのだから、これもエライ!



 そんなに細かく月を眺め、恐ろしいほど暇だったら、日本で暦(陰暦)を発明してもよか

ったのではないか。どうでもいいような月の呼び名など考えていないで、観測し、計算し、

そうして暦を発明すればよかったのに。どうもご先祖様は、そっちの方にはいっかな関心

がなかった、という事なんだろうか、それともそんな野暮は扱わない、という事か。


 せめて暦を発明していれば、大いに威張ることができたはずだ。そしてみっちりと自慢で

きる。このごろ、日本人がなにか偉業を成し遂げてほしいと、ひたすらに思う。実質的に、

日沈む日本があからさまな時代だから、よけいにそう思うのかもしれない。世界に向かっ

て、どうだ! 日本人はこんなにエライのだゾ、と大威張りしたいと思う。


 誰か大威張りさせてほしい。



2025/09/13

秋の夜は澄んだ地酒を一人旅



 

 新潟の旅の思い出がある。

 

 八海山のふもとを巡ってから、夕刻になって低い峠道を恐る々々走って十日町に着い

た。まだ少し明るかったので、その辺りをぶらぶら散歩してみたが、人影も少なく寂しい街

並みが続いている。一本の線路が遠い山の方から伸びてきて、街並みを突っ切って、どこ

かまた遠くの方へ続いているらしかった。


 夜になってから、街の中心と思われる商店街に行ってみたが、ほとんどの店が戸を下ろ

して、暗い侘しい街灯がところどころを影のように照らしている。むろん歩いている人など

ついぞ見かけない。惻々と旅情が湧いて来て、どこかで一杯、と思ったが、居酒屋さえ見

つけるのが難しい。ようやく明かりがついている一軒を見つけて入った。



 ほかに客はいず、暗い灯影のカウンターに座ってコップ酒を一杯飲んだ。亭主は無口な

のか、なんだかしけた顔で動いている。この街はどこへ行っても、この暗い影が付きまとっ

ているのではないかと思われた。陰気で静かなときが過ぎてゆく。なにしろ、この居酒屋に

も、表の通りにも、まったく人の気配がない。


 少し酒が回ってきたので、この街の特徴はなんだろう、と聞いてみた。亭主は暗い顔の

まま、まあ、雪だナ、雪なら売るほどある、それともう一つは織物かなぁ、と言った。しかし

雪はともかく、織物も近年は不振で話にならないそうだ。どこまで行っても話は至って不

景気だ、だんだんにこっちまで詫びしくなるばかり、それで店を出た。



 なんだかつまらないなあ、と思いながら知らない街角を曲がったら、また一軒明かりが

ついた店があった。なにやら料亭のような構えの店である。高いんじゃないかナ、と思った

が、他に店がないから仕方がない、思い切って入ってみた。小さなカウンターが一つあっ

て、奥の厨房にはおじさんが忙しそうに料理を作り、おばさんが4,5人いる。


 さっきの店よりだいぶ賑やかそうだ。奥の部屋に宴会が入っているらしく、あまりこっち

を相手にしてくれない。隣にひとり、影のような男がビールを呑んでいた。地酒を、という

と八海山が出てきた。目の前に茶色の羊羹みたいなものがある。なんだ、と聞いたら、な

んとかいう海藻を固めたものでこの辺りにかない、というので食ってみた。


 なるほど、なんとかいう海藻は磯の香り芬々で珍しくそして旨かった。もう一杯、このあ

たりの地酒を、というと、確か「田鶴(たず)」と言ったか、それを出してきて、ちょっと高い

が旨いよという。呑んでみたらこれが素晴らしく旨かった。きれいな沢水のようにすっきり

した味で、まったく雑味がない。なんだか急に元気が出てきたように気がした。


 いっぱいの地酒のおかげですっかり元気になって帰った。




2025/09/12

豪雨来て都会の川も秋出水

 



 品川あたりが大変なことになっているようだ。

 

 テレビの映像は、一気呵成の大土砂降りでマンホールから水が噴き出すは、たちまち川

が溢れて道路が川に変ずるは、停電はするは、竜巻は吹き荒れるは、いやはや、ついぞ見

たこともない大水害を映し出している。都会には洪水や土砂崩れなどは、まずないものと

思っていたが、どこだって温暖化の「あばれ気候」はおんなじものだと思わされた。


 都会が度々自然災害に見舞われるなら、まず住民が黙っていないだろうと思う。いつだ

ったか遠い昔、狛江市の住宅が多摩川の増水で流されたことがあった。たちまち住民訴

状が起きて、すったもんだの大騒ぎになったことを覚えている。これに懲りたかどうか、都

会の河川はちょっとやそっとの増水を屁ともしないよう万全を期しているらしい。



 しかし今回は、我が住む多摩地方はほぼ被害なしだった。確かに夕刻、恐ろしいほどの

雨が降ったが、それも小一時間ほどで止み、あとはなにごともなかったかのように静かに

なった。それなのに品川あたりがあんな大変なことになっているとは夢しらず、帰宅してテ

レビを見てびっくりした。この頃は一点狙いの大豪雨が起るらしい。


 これも「オンダンカ」なのかどうか知らないが、昔と明らかに違って、降るとなれば激甚、

晴れるとなれば、これもまた激甚に暑い日照りが続き、もう、ほどほどに中庸にということ

がない。なぜ昔と違ってこういうことになるのか、そこんところをじっくりと教えてもらいた

いものだ。もはや、今まで通りの対策では災害は防げないし、人も亡くなる。



 これだけ激甚が頻繁すれば、もう「想定外」は通じない。今までの想定をこの際キッパリ

捨て去って、十分な嵩増しの想定をすべき時代に入っているのではないのか。そういう対

策もなく、ただただ「想定外」を繰り返されたんじゃあ立つ瀬がないというもの。その要路

の人はもちろん、われら庶民もそういうことを考えなばならない時代なのかもしれない。


 ともあれ、社会の風潮はどんどこ変わってゆくのに、天候、気候だけは変わらないと思う

のは、間違いなのかもしれない。地球そのものもゆっくりと、しかし地道に変わりゆくもの

なのかもしれない。そういう意識にならされていないから、われ等はこの地球もお天道様

も変わらない、と思っている。しかし宇宙開闢以来、変わってきたことは事実なのだろう。


 話が大げさになって取り留めもつかない。




2025/09/10

空高し赤城のふもと早生実る

 




 八高線の沿線をぽくぽく歩いたことがある。


 児玉を過ぎると関東平野の西端に出て、野が広々と広がって来る。その北西遠方には

上州の山々が聳え、高い空にその稜線がくっきりキッパリと区切りを付けている。麓の田

んぼではもう借り入れが始まっていた。まだ9月だったから、この稲は早生種だったに違

いない。空っ風のふるさとは、早々と稲刈りを済ませるのだろう。


 ビルも街もない広ろ~~い野を歩いて、胸がすく感じがし、猫背の俯き加減もシャンと

したように思う。独り気宇壮大な気分になって、さあ、矢でも鉄砲でも持って来い、という

気になったが、考えてみたら野っぱらを歩くのに、矢も鉄砲も何もいらない。ただ手と足と

脳みそのひとかけらもあれば十分に間に合う。



 田んぼが無限に広がる中をてくてく進んだ。北の方に薄く煙を吐く山が見えたが、あれ

が赤城山だろうか、榛名山だろうか、こういう時、なんの知識も持たない自分がつくづく

情けないと思う。知識はからっきしだが、足があるから、まあ大丈夫だろう。とりあえず行

きたいところに行けるし、五感もまあ大丈夫だから、いろいろ感じ取れる。


 ずんずん進んで神流川の岸辺に出た。川岸に遊歩道が整備されていて、桜並木の木陰

を歩き、草原で休憩した。そうして、藤岡の街並みに入った。古い街並みがずう~っと続

いている。先の先まで一直線に続いている。たちまちバテてしまった。街並みに変化がな

いから、ただ俯いて歩くだけ、これがまた思いも知らず疲れてしまう。



 そうするうちに、街道は上越新幹線に突き当たった。コンクリートの橋脚が田んぼを切り

裂いて、どこまでも一直線に伸びている。壮大な眺めだなあと、今更ながら感心した。街

道に変化が出てきて、烏川を渡ったら群馬県立美術館がある。歩き疲れたからここで大

休憩しようとしたのだが、如何せん、長く休み過ぎた。ふと気がついたらもう5時近い。


 さあ、それからが大変であった。暗くならないうちに高崎駅にたどり着きたい。が、秋の

日は無常、ドカドカ暗くなってゆく。くたびれた、足が痛い、どこまで歩けばたどり着けるの

か、ああ、もう足もとが見えないぞ。夕暮れの家々の明かりも、今はもう悲しく映る。へろ

へろ、よたよた、高崎駅の明かりが見えて、やっとのこと、人心地つけた。


 記憶に残るは、広い野と辛い夜道。




2025/09/09

山峡の野はどこまでも蕎麦の花

 



 白い蕎麦の花が目の限りどこまでも広がっている。


 こんなに蕎麦ばかり栽培してどうすんだ、と思うほどだが、蕎麦の自給率は2割ほどだと

いうから、やっぱり米に比べればほんのちょびっと、ということになる。うんと昔、縄文のこ

ろに中国から渡来して(そのころ中国と交渉があったのかなあ? )、栽培された形跡があ

るという。してみれば、まあ蕎麦は日本の由緒正しい食べ物、と言ってもいい。


 その由緒正しい古来からの日本の食べ物が、ほとんど自給されていない! ということに

驚いてしまうけれど、麺と言えば即座にラーメンの世の中なれば、これもまた仕方がない

のかもしれない。しかしまあ、ここ数年のラーメンのもてはやされ方は、いささかもの凄い

が、戦後、アメリカが「小麦を食え」と言った結果がこんな形になったのだろうか。



 蕎麦の話に戻る。ラーメンの名所が全国中にあると同じく、蕎麦も全国区である。自分

勝手に数えてみれば、山形、新潟、長野、こんなところだろうか。山形の、なんと言うことも

ない観光地の蕎麦が、案に相違して素朴で旨かった。新潟のヘギ蕎麦を始めて食ったと

きは、これはもうびっくりした。なにやら海藻を練り込んであり、つるつるのしこしこ。


 蕎麦と言えば信州、だから長野には蕎麦の名店がごっちゃりあるに違いない。ビンボー

だからそういう名店には疎いけれど、どこだったか、山すその道の駅で食った蕎麦が旨か

った。冷たくて、腰が強く、量があってその上安い、やはりビンボーの味方だって、長野に

は存在した。名店の高級ばかりでは、庶民は遠く離れてみるしかテがない。



 山梨県のはずれの方の山道を歩いていたら、しもた屋みたいなところに人がたむろして

いた。なんだろうと訝しんで見ていると、どうやら高級蕎麦屋であるらしかった。店内に入

れきれない人が表に立って待っているらしい。ひょっと見たら盛り蕎麦1500円と書いて

ある。冗談じゃねえ、散々待たされて、雀の餌ほどの蕎麦など、食ってたまるけえ。


 ともあれ蕎麦が好きなことに変わりはない。それで思うのだけれど、東京都内、名店と言

われる蕎麦屋もあるけれどが、普通の蕎麦屋も案外多いし、押し並べてどこで食っても旨

いように思う。これが蕎麦かあ⁇ という絶望に遭遇したことがまずない。大阪がうどんな

ら江戸は蕎麦、どうもこういう伝統が未だに生きているように思われる。


  蕎麦時や月の信濃の善光寺(一茶)




2025/09/08

コスモスや我が行く道は里のみち

 



 コスモスが揺れる里道を歩くのは気分がいい。


 里の中の道そのものが気分よく歩けるのに、そのうえコスモスが色とりどりに咲いて、ゆったりと風

に揺れ、空は青いし陽は穏やかだし、これ以上の気分の良さはない。たぶん里道がいいというか、

舎に惹かれるのかもしれない。田舎をひとりぽつねんと歩いていると胸が広がっていく心地がする。


 逆にたまに都内に出ると、ビルの谷間を歩いていてだんだん胸に蓋をしてしまうような気分になる。

それと自覚はしないのだけれど、どうしても気持ちが構えてしまう。だれも獲って食おうという人はい

ないのに、全身を鎧で固め、こころにしっかりと錠をかけ、ぼんやりした気分を覆い隠そうとする。



 どうしてこんな按配になってしまうのか、自分でも分からないが、都会では”田舎者丸出し”がいま

だ治らず、そのため身構えてしまうのではないか、反対に、田舎の里道では、幼少のころから身に沁

み込んだ田舎の風景に”思わず郷愁”が湧き出してしまうからなのではないかと思う。


 しかしながら、都会生まれ都会育ちの人も、なにやら田舎に憧れるようで、これがよく分からない。

都会育ちの人に田舎への郷愁はない筈だが、YouTubeを見ると、田舎暮らし、山里古民家再生、自

給自足生活、などなどわらわらと出てくる。たいがいが都会で生活していた人たちだ。


 例えば。都内生まれ都内育ちのまだ若い女性が、あるきっかけで、ふと田舎に行って病みつきとな

り、今では古民家に住み、無起耕で野菜を作り、糠味噌をこね、囲炉裏を焚いて、まるで戦前の田舎

の暮らしそのままの生活をしている。それも、嬉々としてその生活を楽しんでいるようなのだ。



 こうなると、田舎への憧れは、山育ちの単なる郷愁でもないように思えてくる。ここで思い出すの

は、養老孟司の口癖、「参勤交代論」=「都市と田舎の往復居住の勧め」。なぜそれが必用かと言え

ば、システム化、効率化され、感覚ではなく脳「意識」で考えることを優先されがちな現代において、

地方社会や自然の中に身を置くことが必用なのだ、ということらしい。


 都会育ちが、あえて田舎に住みたがるというのは、いよいよ養老孟司さんの愁いが現実になったの

だろうかとも思える。ただし、田舎に住みたがる都会人は、数とすれば少ないだろうから、あながち養

老さんの警告に従うようになった、とは言い切れまい、この風潮はいったいなんなのだろう。


 まあ、田舎歩きが楽しけりゃ、自分はそれで十分。




2025/09/06

さすがにも葛の繁茂の止まりけり

 



 葛はうんと威張っている。


 向かうところ敵なし、そこら中が我が天下、どこでも伸びてかって放題、ぐずぐず言う奴あ巻取っ

締殺してしまう。なにしろ夏中ドカドカと延び放題に延びて、人が歩く道でさえひょっとすると覆い

して知らん顔、その増殖繁茂ぶりはどこまでも止まることがない。


 このイケ図々しい繁茂は周りの植物に対する思いやりが一切なく、「ちょっと遠慮するかなア」とい

う自覚に欠けている。たまたま葛の近くに芽生えた草は大迷惑をこうむる。たちまちのうちに絡みつか

れ、押し倒され、上に大きな葉を広げられて日光さえ遮られてしまう。



 かような案配で、葛は「植物のクズ」と言われて嫌われている。植物がみんな、どうしようもない、と

諦め、出来るならそばに寄りたくないと匙を投げている。しかあ~し世の中は広いものである。この

葛の上前を平然とハネるやつが存在する。それは、だれあろう人間である。


 春先に葛が若葉を出し始めると、そそくさと行って若葉を毟り取って天ぷらにする。夏に葛の茎が

遠慮なく伸びたところで、刈り取って綱や繊維にする。花が咲けば、これも毟り取って来てお茶にす

る。そればかりか、根っこまで掘り起こして、葛粉にしたり餅にしたりする。



 人間は葛の全身を隈なく搾取してはばからない。葛の方も「いやあ、オレもいけ図々しさでは引け

をとらないと思っていたが、負けた、人間には負けたよ」と嘆いているという。それはもっともだ、人間

はこの地球上で一番傍若無人で図々しい生き物、なんの葛如きにしてやられるはずがない。


 しかしそれも今は昔、葛の若芽を天ぷらにする人も、花をお茶にする人も、ましてや根っこを掘り起

こして葛粉を取り出す、なんてべらぼうなことをする人も、もういないだろう。かくのごとくにして、葛

の天下が再び巡り来たようなわけで、いま葛は土手っぱらで好き放題のかって放題を続けている。


 葛根湯だけは年に数回お世話になってます。




2025/09/05

来しかたを悔いる夜にはみみず鳴く



 

 「来しかた」など迂闊に思い出してはいけない。


 そんなものを思い出して悔んでも、もうどうにもならんし、一文にもならん。ただ気分が落ち込むだ

けであって、なんの役にも立たない、だから、ひょいっと頭に浮かんだその思いは、早々に頭を振って

どこかに放っちゃり投げるに限る。そして固く封印して、もう頭に浮かばないようにする。


 ではあるけれどさりながら、年寄りには「来しかた」しかないから、どうしても頭に浮かぶ思いは「来

しかた」になってしまう。未来というものがほぼないのだから仕方がない。そうなると、ミミズだって鳴

くかもしれないし、カメだって鳴くかもしれない。実に困ったもんだ。



 これを防ぐテはないもだろうかと愚考する。来しかたがダメだから、「行く末」を考えるてみてはどう

か? ただし遠い「行く末」というのは無いのだから、ほんの間ぢかの行く末、まあ、一か月ないし三

月ぐらいの近未来を考える。それならもしかすれば有るかもしれないではないか。


 その短い未来に対して、何をするか考える。このとき、将来の自分の在り方、などというものを考え

てはいけない、そんなものは無いのだから、まあ遊ぶことを考える。なにをして遊ぼうか、どういうふ

うに遊ぼうか、これだけをゆるゆると考えて、「来しかた」の思いを頭から排除する、これがいい。



 さて、向こう3か月間ほどの期間に何をして遊ぶか、これが問題だ。年寄りに未来はないかもしれな

いが、体力、というのもほとんど残っていない。遊ぶにはなにしろある程度体力必要だ。なのに、その

残存がほとんどない。となれば、登山、冒険、流離、海外(金もない)、などは出来なくなっている。


 残された可能性を吟味してみれば、ほとんど何もないということになる。大いに困るではないか。そ

の隙間に何かないか? 思い浮かぶのはせいぜい野っぱら歩きぐらいのものだが、一つだけやって

てみたいことがある。SUP、これなら体力、金、なんとかなりそうな気がする。無理だろうか⁉


 ミミズなんかに鳴かれたり笑われたりは御免だ。




2025/09/04

台風の雨さえ頼る照り続き

 



 いやはや、こんなにも涼しく感じるとはなあ。


 前線が通過して北太平洋に抜け、あまつさえ台風が近づいて雨模様、空気がひやひやと冷えてき

たらしい。しかし気温は28.6℃、夏日であることに変わりないのだが、体感とすれば一気に涼しいな

あ、とじられる。たった4,5℃の違いだけれど、この違いのなんと大きいことか。


 ヒトの感覚というものはこういうものなのだろうか、それとも今年の殺人的な暑さに、いささか体が

順応したためなのだろうか。こうなれば、近づいている台風にうんとこさ雨を降らしてもらって、日照

りの日本列島を一気に涼しくしてくれることを大いに期待したい。台風よ、頼むぜ。



 いままで、降るか降るかと期待させられ、その都度見事に外されて、雨らしいものが落ちてこなかっ

たので、今度の台風に期待する。しかし、風は要らん、雨だけで結構、それも洪水になるほど降っては

いかん、あくまでも適当な量を適当なだけ降らせて、そしてどこかへ去ってくれ。


 いつもいつも、自然災害はトンデモ災厄を持ってくるのだから、今回くらいはこっちの言うことを素

直に聞いてくれてもいいだろう。いつもこっちは、たいがいのことを我慢しているのだから、たまには

こっちの言うことに耳を貸してくれてもいい筈だ。お互い、安生やろうや。



 しかし我が日本ほど自然災害が、大手を振って歩いている国はないのじゃなないか。まずは地震、

列島のどこかでいつもいつも地面が揺れている。勢い余って大地震がこれでもか、これでもかという

ほど襲い掛かって、甚大な、手の施しようもないほどの災害を置き土産にしている。


 そして今では梅雨、以前は比較的穏やかにそろりそろりと来ていたのが、オンダンカのせいなのか

どうか、どばしゃあ~っと降って、どこかしらが洪水になって泥だらけになる。更に追い打ちをかけて、

台風、またしても大雨を降らせ、場合によって大風を吹かせ、とんでもない仕打ちをする。


 この災害列島によくぞ我慢して住んでいるナア、我ながら。




2025/09/03

山かげに胡弓ふるえる風の盆

 



 「風の盆」は盆踊りではないらしい。


 「盆」と付けば、なんでもかんでも盂蘭盆会の関係だと思い込んでいたが、どうもそうではないらし

い。教えられるところによれば、風の盆は二百十日を迎えての風鎮めと、豊作を祈る祭りの踊りな

のだそうだ。だから一般のお盆が過ぎて、二百十日ごろの行事というわけか。


 阿波踊りは盆おどりの一種なのだそうだが、風の盆の踊りは全く違う。阿波踊りは陽気で、かつ華

やかでどう見たって太平洋側の踊りだが、風の盆の踊りはしっとりしめやかで、哀愁漂う日本海側の

踊りだと思う。胡弓の音色がまた切々たる哀切を掻き立て、遠い昔へ思いを誘う。



 阿波踊りが目で見てその華麗さを楽しむものとすれば、風の盆は耳で聞いて想いを沈めていく、そ

な違いがあるように思う。どうも目よりは耳の方が一層感情に近く、情動をかきたてるようだ。絵を

見て感情的になる人は少ないだろうが、音楽を聴けば下手すると涙を流したりする。


 なぜこういう違いがあるのか、そこんところは知らないけれど、どうも目は理性を、そして耳は感情

を主に受持っているのではないかと愚考する。もちろん目だって感情をかきたて、懐かしい故郷の山

河に涙することまもあるし、耳が相手の騒ぎ立てを聞き、逆に落ち着こうと理性的になったりする。



 外界を感じ取る感覚はいずれも脳みそに何かの信号を送っているのだろうが、五感それぞれに脳

みそでその感覚に見合った処理をするのかもしれない。目や耳は上に描いたような処理、残った嗅

覚、触覚、味覚もそれぞれに脳みその処理が違うのかもしれない。


 例えば嗅覚、味覚は専ら食えるもの食えないものの探索、だから理性や感情などには関係しない。

触覚はどうも一部が感情と結びつくようだ。猫や犬だって撫でられれば、大変気持ちよさそうな顔に

なる。喜怒哀楽の「」に結び附いているのではないか、と思われる。・・・ま、閑話休題だナ。


 古い時代の歌や踊りは、なぜかしみじみする。




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